僕は僕のことを、おそらくADHDだろうと考えている。そう思うのは客観的な分析や特徴を読んだことがきっかけだが、それまではそんな可能性さえ考えたことはなかった。
つまりその特性は、仮に当事者であろうとも、第三者視点のようなものを通して見ないと気づけない。だから、特性は努めて客観的に把握することが大事だと思っている。
そのうえで、それをどう活用するかをオーダーメイドで考えていくことが、特性をハンデではなくギフトとして受容するために重要なのである。
・・・これは2025年現在の社会としての共通認識であると思うし、僕自身も目指している方向性・理想像の一つである。そのためには自己分析を止めるわけにはいかない。
今日はその途中報告と、それを活用した一つの一人遊びについて、記事を書いていこうと思う。
止まらない連想を止めようとしない。
ADHDの特性によるものだと思うが、僕は強制的に手が止まる時間がとても苦手だ。例えばシャワーを浴びている時間が、日常生活で最も嫌いである。
これは最近流行りの「お風呂自体が嫌い」・・というわけではなく、浴びているその間に、他のことが何もできないことが問題なのだ。
頭や体を洗っている間に、未処理の仕事や数ヶ月後の経営の不安など、あらゆる思考が同時に押し寄せてしまう。そしてそれにアクション出来ないのが歯がゆくて仕方ない。
過去・現在・未来の不安が混ざり合い、無意識に拡散思考が働いてしまうのだ。 ちなみにこれは、ADHDの典型症状の一つであるという。
僕における拡散思考がどれほど強いものなのかは、とあるYouTubeのショート動画を見たときに実感した。
おぼろげな記憶だが、動いている図形の中に3つの点があり、意識を動画の中心に集中すると、それらの点が消えて見えるという、錯視のような実験が紹介されていた。
そしてその点が消えた状態を10秒キープできると、ADHD”ではない”ということになるという。簡易テストの割には、説得力が高い設計だと感じた。
しかし、僕は点が2つ消えたところで意識が全体に向いてしまい、結局3つすべてが消えることは、数秒たりともなかった。
この事例からも、僕が1つのことに集中するのが極端に苦手であることがよくわかる。ただ、その逆の思考も、実は心当たりがある。
以下の話は、「あんた幼稚園児の頃さぁ・・」と親から思い出話で聞かされたものだ。僕自身は、その記憶は全く残っていないが、すごく納得感のある逸話だ。
ある日、他のみんなが室内で遊んでいるとき、なにか珍しい植物や昆虫でもいたのか、僕だけがその輪に加わらず、庭で何かをじっと見つめていたそうだ。
これは自我が芽生えてくる小学生・中学生の頃も、似た記憶が僕の中にある。その頃が初めてではなく、幼少期からそうだというのは、どこか筋金入りという感じを持つ。
こうしたいわば両極端な「一点集中」と「拡散思考」のバランスについては、ずっと悩んでいたが、最近になってそれを建設的に活用するヒントを得つつある。
そのヒントを与えてくれたのは、先に紹介した桜井政博氏の「ゲームを作るには」という動画シリーズの一つ、「イメージを止めない」という回である。
この動画では、クリエイティブな問題解決の方法として「連想を途切れさせないこと」が提案されていた。
課題があったとき、「〇〇を使ってみるのはどうか?」「予算を削るのはどうか?」と次々にアイデアを出し続けることで、新しい解決策にたどり着くという考え方だ。
この方法を実際に試してみたところ、僕には非常に合っていると感じた。思考で頭の中をパンパンにするイメージであり、と同時に、前進している感も味わえたからだ。
そういえばひろゆき氏も、自身の本の中で、街を歩きながら「この人はどこの駅で降りるか?」などの論理クイズを勝手に考えて解くことで暇をつぶしていると書いていた。
ADHDは、その特性ゆえ、頭の中が常に散らかり続けている。そしてそれを無理に抑えようとすると、ストレスになるばかりか、つまる不可能なのだ。
しかし、あえて「連想モード」に入り、思考を自由に展開させることで、むしろそれを有効に、建設的に活用できるのではないか。先の思考に出会い、そう思えている。
もし「考え事が止まらなくて困る」と感じる人がいたら、それを抑え込もうとするのではなく、むしろ意識的に広げてみるのも一つの手ではないだろうか。
僕にとっては、最高の暇つぶしの一つになっているので、特性に心当たりがある人はぜひ試してみてほしい。
では今日はこの辺で。