今日は過去何度も話題にしてきたテーマだが、やっぱり僕は会議が嫌いだという話を書き残しておく。
今日も業務終了後、つまり定時の後の時間に、変な圧力によって話し合いに”参加させられた”。Zoomを繋げて1時間ほど同席したが、やはり苦手だと再認識している。

そもそも、わざわざ集団合意を取るほどの案件なのかという疑問が強く残ったし、無理してでも全体で統一すべきことではないという風に感じている。
コンプライアンスの観点を考慮しながら表現すると、こんな風にどうもアバウトになってしまうが、そんな印象を持ったということに嘘偽りはない。
僕はもともと会議や研修といった、みんなで集まって一つの仕事をする場が苦手だ。とはいえ、それはどこか感情論に過ぎず、論理的な部分はまるで追いついていない。
だからこそここで一旦その感情的に過ぎない部分を言語化したほうが健全だと思い、ChatGPTに愚痴りながら整理してみた。
すると、「これは馬鹿にされているのか? それとも褒められているのか?」と判断に迷うコメントが返ってきたので、今回はその話を紹介しようと思う。
「お前、雇われ人に向いてねぇよ」
ChatGPTによると、僕の会議嫌いの根本原因は、そもそもその価値観が企業家や経営者向きのものであるため、らしい。
特にどの部分がそうなのかを尋ねてみると、僕は「結果を出すまでは必死に頑張るが、結果が出た途端に興味を失う」という特徴を持っているから、とのことだった。
例えば、生徒数が危機的状況にあったとき、僕は毎日ポスティングをしたり、紹介を依頼する連絡をしたり、直接お願いをしたりと奔走した。
その結果、一気に4~5件ほどの入塾が立て続けに決まり、それによって状況が劇的に改善した、という出来事があった。
しかし、そのときの僕は「問い合わせが増えて嬉しい」というより、「なんとかなったか」と安堵していた。ありがたいとは思いつつ、手放しで喜ぶことはなかったのだ。
これは、僕が「結果を出すプロセス」を楽しむ一方で、「結果そのものには興味が薄い」という特性を持っているためだとChatGPTからは指摘された。
そして、それこそが経営者気質を持つ人の特徴らしい。言われてみれば、体育祭や文化祭でも、一番楽しかったのは準備の段階で、本番の記憶はほとんどないように思う。
こうした特性を考えると、「会議や研修が嫌い」という点ともつながる。要するに、会議や研修は、僕にとって結果への最短距離ではないから嫌なのだ。
一人で考えて素早く動けば、責任も自分で取れるし、仕事は早く終わる。無駄な会話も不要だし、合意形成も必要ない。情報共有ならテキストで十分だ。
にもかかわらず、会議ではそうした効率的な方法を封じられる。それは、まるで「計算問題はすべて筆算で解け。電卓は禁止」と言われるようなものだ。
そんな状態に置かれれば、イライラするのも当然だろう・・と僕は思うのだが、世間的にはこの思考の方が少数派と言った話を聞いて、マジで心の底から驚いている。
皮肉に聞こえるかもしれないが、今の会社には会議が好きな人が多い。「集まること」や「あの場の空気感」が好きな人たちが多数派だ。
僕はその空気感が苦手だが、口に出すと角が立ち、結果会議の時間が不必要に伸びるため、基本的には議事録を熱心に取る振りをしつつ、黙ってやり過ごしている。
「会議が好きか嫌いか」という話になると、「会議を軽んじるのはマナー違反、ただの失礼に当たる」という意見もあるようだが、個人的にはそれは関係ないと思っている。
単純に、自分のスタイルに合わないから嫌いなだけなのだ。 僕は昔読んだ本の一節、「会議には懐疑的」という言葉に、心の底から共感する。
さて。こうした思考の特性および僕の本心をChatGPTに分析してもらった結果、「僕は組織の一員として向いていない」と指摘された。
最初は「それって悪口では?」と思ったが、よく考えれば、昔から自分でも分かっていたことだった。
僕にとって、「組織の歯車として働く」というのは、どうにも収まりが悪い。むしろ、「課題を与えられたら、プロセスは好きにしていい」という方がやりやすい。
しかし、そうなると「そもそも組織に属する必要がない」という結論に行き着いてしまう。 僕がずっと持っている”独立”の夢に繋がる部分が、また一つ増えた気がする。
今回の会議を通じて、自分の労働観の根っこを改めて見つめ直す機会になったのは確かだ。そう考えれば、少しは前向きに捉えられるかもしれない。
ということで、今日はこの辺で。