最近、僕はどうやら、自分の弱点とやらを取り違えていることに気がついた。 それは何かというと、人を頼ることにまつわるものだ。
僕は昔から「人を頼るのが下手」だと言われてきたし、自分でもそれは自覚していた。仕事をすべて自分で回そうとし、休日も平気で潰すからだ。
その結果、2024年度を振り返ると、仕事がまったくない日—僕が「フル休み」と呼んでいる日—は、正月・GW・盆を含めても、累計で30日もなかったと思う。
こんな状況だから、「人を頼るのが下手だ」という指摘はもっともだと思っている。いや、正確に言うと、思っていた。
また、一人でできることには限界があり、スケールも小さい。だからこそ、頼れないと成長も無いと理解はしていた。それなのに、いざ頼るとなると、それが難しい。
苦手という言葉は佐渡島庸平氏いわくただの思考停止ワードだ。だからそこでイメージを止めず、連想を続けてみようとふと思ってみた。
そして結果至った結論が、 「僕は『人を”頼れない”』と思ってい”た”。」である。どういうことか、以下詳述する。
本当にそれは、苦手なのかい?
数学が苦手な人が共通テストで9割を取るのはほぼ不可能だ。それと同じで、「頼れないという特性は直らない」と、実は改善できること自体、半ば諦めていた。
しかし最近、「頼るのが苦手」という認識自体が違うのではないかと思い始めた。確かに人を頼るのは得意ではないが、その評し方として”苦手”は不適当に思えてきたのだ。
実際、手前味噌だが、何か問題が起こったときに僕が最初にするのは、「人を頼ること」ではなく、「人を頼らずとも工夫して解決を図ること」なのだ。
これは偉そうに聞こえるかもしれないが、僕にとって「人を頼る」ことは、組織規模を考えても安直な手段であり、必ずしも良い結果を生むとは限らないと思っている。
実際、僕が真っ先に頼るのはネットの集合知やChatGPTだ。そして、そもそも専門性のいらない仕事なら、まずバイトを活用する。
なぜなら、僕より高給取りの人に雑務を任せるのは合理的ではないように、人的リソースを無駄なく適切に配分することが重要だと捉えているからだ。
だから、常に「相対的に最もコストが低く、そして効率的な解決策」を選んでいるにすぎない。休日出社も、人に頼めばパワハラだが、自分で回せば無問題なのだ。
ところで、試しに自分の仕事をすべて他の人に振ってみたらどうなるか、イメトレしてみたことがある。なるべくメモに起こしながら、具体的に取り組んだ。
「僕は休まないと言われるが、じゃあ人に仕事を任せれば、自分の休みは確保できるのか」が知りたかったのだ。しかし、結論は「無理」だった。
今の僕の担当は、現状社内において僕以外の誰も担当できないものだけだ。そもそも個人に対する仕事が多すぎるのは仕組みのバグであり、僕個人の能力の問題ではない。
そのため、周囲から「自分を安売りするな」と言われることもあるが、実際にはそもそも”してなくてコレ”なのだ。
昨日も大学二次試験の英作文を空き時間に4つ添削したが、これができる人はそもそもこのエリア自体少ないよなと、少し笑ってしまった。
だから自然と、頼る前に工夫することに意識が向くようになった。例えば、ルーティン作業は日々最適化を進めていて、日中の20〜30分で終わるようにしている。
やはり僕にとってはどうしても、むやみに人を頼らず、システムや工夫で解決することに意識を向ける方が、よほど有効だと考えている。まぁ、賛否両論だろうけど。
もちろん、人を増やせば負担は減るかもしれない。しかし、人的コストは上がり続けている。安易な手を採れば採るほど、対価としてのコストはどうしても増えるのだ。
それを考えれば、「人を頼らない」という僕の考え方は、むしろ強みになり得るのではないか。 無理にポジティブな解釈を加えなくても、自然とそう思えるようになった。
その方が建設的ではないか。そう信じたい。では今日はこの辺で。