精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

天才のやり方を真似すると、やはり事故る。そう納得している。

僕自身、生徒たちにもよく伝えているが、天才のやり方をそのまま真似しないほうがいいと思っている。  

 

そもそも、天才とは何かを一言で定義するのは難しい。生まれ持った才能なのか、育った環境の影響なのかは分からないが、とにかく秀でた人をそう呼ぶ気はしているが。

 

これは何も、有名なアスリートに限った話ではない。身近な友人にも、いわば天才と呼べる存在がいた。

 

例えば、僕が目で追えなかった高速で動く生き物を一瞬で捉え、その種類まで言い当てる驚異的な動体視力の持ち主がいた。

 

また、専門的な用語を流暢に使いながら、一貫した説明を即興でできる人もいた。このような才能を目の当たりにすると、天才に憧れる気持ちは確かに理解できる。  

 

しかし、やはり天才のやり方をそのまま真似するのは非常にリスキーである。以下、僕がそう思う理由について説明していく。  

 

 

天才は教えるのが苦手だと言われるが。

 

天才とされる人の別側面を見ると、その理由が見えてくる。もちろん例外もいるが、天才の多くは教えるのが苦手だとされる。

 

なぜなら、彼らは大体、自分の感覚を”言葉にすることなく”、無意識のうちに勝手に高いレベルの技能や能力に達しているためである。

 

一般的に、人間は繰り返し練習することで上達していく。しかし、拙い我流に終始しないためにも、多くの人は基本や型の指導を受けて学んだ方が、効率が良いとされる。

 

一方、天才は基礎や基本こそ体得しているかもしれないが、それらを深く意識しなくても、「こう動けばいい」「こう考えれば分かりやすい」といった直感が的確に働く

 

その直感を武器に、圧倒的なスピードで成長していくからこそ、天才と呼ばれるのだ。つまり、言語化が、成長していく能力に、全く追いつけていない状態なのである。  

 

天才は、自分の中でいちいち言語化せずとも、感覚を信じて積み重ねることで、勝手に熟達していく。積んでいるエンジンもセンサーも、全く異なっている。

 

だからこそ、僕ら凡人がそのまま真似をしてもうまくいかないのである。これに気付いて認めるのは、確かに勇気が要ることなんだけれども。

 

それを踏まえてどうすればいい?

 

僕のような凡人は、天才の曖昧な感覚を理解できない。なぜなら、それを理解するために必要な、才能や直感を持ち合わせていないからだ。

 

例えば、絵が上手な人は「まずサッと綺麗な丸を描く」と言うかもしれないが、凡人は「どうすれば丸を上手に描けるのか?」というところから分からないしできない。

 

そもそも出発点となる技能、いわば前提が異なるため、天才のやり方をそのまま学んでも理解できないことが多い。まずは土台がないと、何も積み重ねられないのだ。

 

だからこそ、基礎や基本が重視される。参考書や指導書において、上級者の意識する点が徹底的に言語化され、体系的に説明されているのはそのためだ。

 

凡人は、言葉と理論と練習を通じて理解し、そのうえで何度も反復することで、段々と上達していく。

 

そして、運が良ければ、その過程で才能が開花し、「大器晩成型の天才」となることもあるかもしれない。 それ自体は夢のある話だ。

 

しかし、最初から天才の感覚に頼る学び方をしてしまうと、うまくいかない人が多いのではないかと僕は思う。なぜなら、その模倣はまず無理だからだ。

 

熟達者の言う「こうやる」の中身を言語化すると、原稿用紙1枚では収まらない何かが凝縮されているなどザラだ。

 

特に、YouTubeなどで情報が氾濫している現代では、この傾向がより顕著になっているように、僕は思えてならない。

 

やはり、自分が学びたいこと、学んでいることの出発点が、天才の感覚に依存していないかを時々振り返ることが重要だ。

 

例えば、感覚的な説明ばかりを頼りにしていないか、基礎基本を飛ばしていないかを確認することで、より効果的な学びができるはずだと信じている。

 

以上の点を踏まえ、天才のやり方を鵜呑みにしないことの大切さについて考えてみてほしい。  僕も引き続き、考え続けたいと思う。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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