今日は「冷静沈着であることは大事だが、そのプロセスはどうでもいい」ということを考えてみたい。
僕は昔から、感情的にならない、クールで冷静な人に憧れている。そんなキャラばかり好きになったし、自分もいずれはそうなりたいと思っていた。
さらに言えば、これは異性としての好みというわけではないが、最近「仕事ができる女性」に対して、男性に対してよりも強く、同じような感覚を持つようになった。
彼女たちの言葉や思考を読んでいると、男性以上に感情的にならないよう理性で制御できていることが伝わってきて、その高い精神年齢が心底羨ましく思えてくる。
そういうモデルケースを見るにつけ、自分という人間の甘さが浮き彫りになるのを常々感じていた。僕は割と感情的だし、上にも下にもそれは乱高下する。
どうすれば冷静沈着であれるのか。そのことはずっと考えてきたのだが、最近辿り着いた暫定解こそが、「そのプロセスはどうでもいい」というものだ。
以下、自分に腹落ちさせるためにも、きちんと説明していく。
冷静沈着へ至る方法。
冷静沈着な人の典型的なイメージといえば、例えば顎に手を当てて、じっと考え込む姿が浮かぶ。探偵もののアニメなり漫画なりを見ていると、必ず目にするシーンだ。
特にツールを使わず、自分の頭の中に意識を向けることだけで冷静さを保つ、あるいは取り戻す。これができる人は、本当に有能だと僕は思ってしまうわけで。
だから僕も、何か感情を揺さぶられる出来事があったときには、それを模倣して頭の中だけで整理しようと四苦八苦していた。
しかし、ここ数ヶ月の話なのだが、もうそれは止めてしまった。正確に言えば、「頭の中だけで物事を処理する」のを完全に諦めた。理由は単純で、できないからだ。
僕はそもそも頭の中だけで考え事をするのが極めて苦手だ。むしろ、考えたことを外に出して考える方が、圧倒的に向いている。これは実体験にいくつもヒントがある。
例えば、僕の英語の問題用紙は、誰よりも書き込みで汚かった。長文に線を引いたり、重要な部分を丸で囲んだりしまくっていたからだ。
数学の模試でも、余白がほぼ残らないほど、片っ端から計算過程を書きまくっていたし、英検1級のリスニング問題は、メモで問題用紙がカオスになっていた。
にもかかわらず、「冷静沈着な人は頭の中で処理するものだ」と思い込み、自分に合わない方法を続けていた。なんというか、徒労な年月だったなぁ、と・・。
結果、頑張っても偏差値53くらいの冷静さにしか到達していない。でも僕が求めているのは、いわば偏差値60レベルの冷静さだ。集団において頭一つ抜けた水準。
そこに至るには、自分の強みを生かしつつ、それを効果的なトレーニングで鍛えていかなければならないのだが、なぜわざわざ不利な手段を選んでいたのだろうか?
最近、その矛盾にようやく気づき、改めての結論として、「冷静沈着でいること」さえできれば、プロセスはどうでもいいと思うようになった。
それこそ、まさに今日、それを強く実感する出来事があった。
理由はわからないが、朝から強い不安に襲われ、「終わっていない仕事が山ほどある。早く職場に行って片付けないとマズい」と焦りまくっていたのだ。
いざ職場に着いて仕事を始めようとすると、ちょうどそのタイミングでメッセージが届き、それに対応するのに手間取った。
さらに、質問対応が立て続けに入ったり、パソコンがフリーズして落ちたりと、今日は厄日としか思えない有様で作業に集中できず、不安は一日中続いてしまった。
しかし、先ほど時間を作り、朝から気になっていたことを5分だけ紙に書き出すことにした。5分で終わるはずがないと思っていたが、実際にはなんと3分でネタが尽きた。
朝は「やるべきことが100個くらいある」と感じていたが、書き出してみると、たった5つだった。電話3件と、内容を考えて送るメール2件。それだけだった。
頭の中で延々と考えていたときは、10分、20分悩んでも何も進まなかったのに、紙に書き出すと、3分で片がついた。
そして今、僕の心はこの上なく穏やかだ。仕事のことはすっかり整理できたので、あとは家に帰って酒を飲み、ゲームをするだけである。
朝方のあの焦燥感は何だったのか?心底拍子抜けしている。そして悟った。冷静沈着でいることは「ゴール」であって、そのためのプロセスは本当にどうでもいいのだ。
そのことに気付けたことを成長と捉えて、納得することにする。では今日はこの辺で。