精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

先を見て行動することの【型】とはなにか?

今日も、「考えることや悩むことは、所詮行動ではないよな~」という、自分がここ最近一番気づいて凹んだことを、建設的にするためにも深めていく。

 

この点については、昔から行動力の高い人たちの話を読んだり、実際に話を聞いたりしてきて、知っている話ではあった。だが僕の中で、受容しきれない点もあるわけで。

 

彼らは一貫して「悩んだり考えたりする時間は無駄だ」と言っていた。そんなことする暇があったらさっさと試してデータを取ったり話を進めたりしろよ、という感じで。

 

しかし、すべての行動には、それを裏付ける思考や計画が必要なはずで、それなしに動くのはただの行き当たりばったりではないかとも思うのだ。

 

その方法自体はその人たちの天性の思考プロセスにマッチしているから機能しているのであって、僕が積んでいるエンジンは全くの別物ではないかとも感じている。

 

ゆえに本当にそれで成果を出せるのか、という疑問があった。しかし、最近ようやく気づいたのだが、行動力の高い人たちも決して、無計画に動いているわけではない

 

そしてその部分に、僕の違和感の根っこが潜んでいることが分かってきた。今日はそんな話を書いていく。

 

 

未来を考えて、今できる行動をする。

 

彼らの行動をよく見てみると、確かに行動力は高く、ずっと何かをしている印象だが、それは意外と、今すぐの成果のために動いているものが少ない

 

例えば半年以上先のイベントのための打ち合わせやコンテンツ作りに忙しい人は多いが、目先の部屋掃除をスケジュールに組んでいる人はいない、といった風に。

 

つまり、長期的な伏線を張るような動き方をしている。畑に種を蒔くとか、田んぼに稲を植えるとか、あのような類の性質の仕事に”今、忙しい”人が多いのだ。

 

彼らの行動は、2~3ヶ月、あるいは1年先の成果につながるそれということを考えると、「悩んでいる時間は無駄だ」という言葉の意味が別の意味を帯びて見えてくる

 

これは何も享楽的なことをしろ、という意味では無い。未来のことを考えさえすれば、行動はすぐに見えるはずだから、悩むというのはそこの解像度が低いことを意味する。

 

「今だけを楽しめばいい」と言う人もいるが、本当にそうなら、毎日コンビニで甘いものを買って帰ったり、スーパーでビールを買って晩酌するだけで満足するはずだ。

 

しかし、そうしている人はほぼいない。無意識のうちに、未来のために今何をするかを考えたうえで、現在に集中しろ、という意味では無いかと僕は感じる。

 

結局のところ、行動力の高い人たちは「今考えるべきこと」と「未来のために準備すること」の区別がはっきりしているのだろう。

 

彼らが「悩むことは無駄」と言うのは、今この瞬間のことで迷うのではなく、長期的な視点をもって考えれば、悩みなどそもそも発生しない、ということなのだと思う。

 

ただしこれ自体、あまりにも当てずっぽうな推測に過ぎないと、僕も自覚はしている。書きながら、多分そうだろうなぁ、というおぼろげな手応えしかないからだ。

 

なぜなら、こうした長尺の時間軸で物事を考えることは、僕にとって最も苦手な思考法の一つだからだ。

 

診断こそないが目移りが激しいというADHD気質があるゆえに、優先順位を簡単にバグらせてしまうし、飽き性ゆえ計画的に動くのも得意ではない。

 

しかし同時に、それを体裁のいい言い訳にして、結局長尺の計画などろくすっぽ考えたことのない自分にも気づいている。

 

だからそれこそ悩んでも無駄。幸い、近いうちにがっつりと空き時間は確保できそうなので、そこでChatGPTの力も借りながら、未来のことを考えたいと思う。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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