今日もまた、自分の中にある”ギャップ”について整理する記事を書いておく。尚、今回は特に独り言に近い内容になるので、その点は了承してもらえるとありがたい。
僕はどうやら、自分の中に”ギャップ”があるとき、特にそれが感情と理性、理想と現実の乖離として表れると、強いストレスを感じるらしい。

これは最近気づいたことなのだが、これまでの人生や、日常生活を改めて振り返ると、これは自分の考え方の最たる特徴として考えていいものなのだと思う。
ギャップそのものに苛立つ僕。そのとき内面で生じていることを言語化すると、一体どんな思考・認識が渦巻いているのか。なるべく丁寧に紐解きたいと思う。
あーありたい、こうありたい、でもそうじゃない、あー腹立つ。

たとえば、人から何か指摘されたとき、感情的な反応をしてしまうことがある。これ自体器が小さい話なのですぐにでも直したい弱点ではある。(人間的な課題ともいえる)
しかし、それは決して相手に対する敵意ではなく、「理想の自分とズレが生じたこと」に対する苛立ちに近いと納得してもいる。
口にするのも恥ずかしいが、僕の理想像は、仕事ができて、観察力があり、芯が強く、心身ともにタフで、仕事が早く、ミスをしない人物である。
そして、そういう存在に憧れているからこそ、それと違う自分を認識したり体現したりするたびに、ストレスを感じるのだと思う。なんと幼稚なのだろうか。
普通の人は、このギャップに対して無自覚なことが多いらしい。しかし僕の場合、内向的なのもあって敏感で、言語化できないことに対してもイライラしやすいそうだ。
そしてギャップに対して敏感であることは、メリットもあるにはあるが、そのデメリットがやはり目立つ。
例えば、僕はよく、自分で自分の成功を潰すようなサイクルに陥ることがある。そのときは満点解答と思ったことが、後になって別解を閃き、否定したくなるのだ。
それ自体はそこからの成長という認識で済ませればいいのに、つまり理想通りにいかなかったことなのだから、悔しがるべきという面倒な思考が構築されているのだ。
100点を目指して努力し、取れたとしても改善点を見つけて、結果的に満足できない。向上心といえば聞こえはいいが、つまりめんどくさいやつなのである。
となれば、これから僕が取り組む必要があるのは、「肩の力を抜く感覚」の習得なのだと思う。手垢だらけの結論に違いないが、僕にとっては特に重要な課題だ。
具体的には、「とりあえず70点を取る」「70点で満足して次に進む」という考え方を持つことが大事だと指摘された。これは脱社畜ブログにも書かれていた心構えだ。
自分でもその通りだと感じる。しかし、感情は100点を求める。そこに理性を働きかけて、健全さを注入していくことが重要なのではないか。
これこそが、「肩の力を抜く」ということの本当の意味なのではないかと、今は思っている。だがそこを目指す過程は、これまで以上に遠いように思う。
余談だが、僕は芸術の審美眼が全くない。どの音楽もすごく聞こえるし、どの絵画も上手に見えるし、どのボディビルダーも非の打ちどころなくマッチョに見える。
だが世の中には、そういった「美」を抽象的なまま理解し、そしてそれを分かり合える人がいる。僕に判らない感覚を基に共感を得られる人達がいる。
「肩の力を抜く」という自分の中に無い概念をどう習得するか。あるいはどう呼び覚ますか。難問には違いないが、答えはなんとなく、自分の中にある気がしている。
では今日はこの辺で。