この世はどうなっているんだろう。この純粋な問いは、不思議なもので、いずれこうなっていく。「僕が思うような世の中であるには、データはどうあるべきなんだ」と。
例えば、俺に彼女ができないのは、一部のイケメンたちが女を独占しているからだ!みたいなヒスっぽいコメントを散見する。
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そういう人たちにとっては、その反証たるデータが示されては困るし、それを支えるデータだけが世に溢れていないと困るのだ。
この二人の経済学者は、前提となるスタンスがそもそも違う。どこに辿り着くかはわからないし、それが楽しいということなのだ。
大人とは、偏見で凝り固まった眼鏡を外せなくなった人たちのことを指すのだろうか。だとするなら、僕は大人になんてなりたくない。
そのヒントを探して、今週も読んでいこう。
- 3月10日(月) その後は知らない。
- 3月11日(火) ヤバい経済学を生み出した悪ガキたち。
- 3月12日(水) やめた後の世界。
- 3月13日(木) 世界はうつくしいと。
- 3月14日(金) ”正しい問いを立てられるか”。
- 3月15日(土) この世におけるもっとも確実な投資。
- 3月16日(日) 誰もが考えるが、ほとんどの人が知らぬ問い。
3月10日(月) その後は知らない。

データをもとに研究を深め、分かったことをまとめて世に示す。とはいえ、それによって大衆をどこかへ先導したりといった意欲は、二人とも全くないのだという。
むしろそういう使い方や目的はクソくらえ的な江戸っ子みたいな価値観をしていることが伺い知れる内容であり、その点ではやはり痛快である。
この考え方はどこかで似たものを見たように思ったが、それはハッブル氏の哲学と似ているのだ。彼は観測こそ行ったが、特定の立場から物を申したことはないそうだ。
「こうあるべきだ」という価値観で、観測が捻じ曲げられるのを嫌ったのだろう。嘘をつかない物だけを信じて追う。大事だが、なんと難しい話だろう。
3月11日(火) ヤバい経済学を生み出した悪ガキたち。
なぜ著者の二人は悪ガキ教授と呼ばれるのか、その理由にまたひとつ気付いた。常識を意図的に無視するからだ。
取り組み始めたら、投げ出してはいけない。言われたことには、ハイソウデスカと従うべきだ。
そういった社会からの期待を、持ち前の好奇心で疑い、自分なりのロジックを積んだうえで、拒否する。
集団として動かしたい大人からみれば厄介者に違いないが、それでも人生楽しそうな様子がありありと想像できてしまう。
僕も時折、個としての自由と集団としての円滑運営の狭間でふと迷うことが増えた。僕も大人側になりつつあるのだろうか。
それはそれで、寂しい話だと思った。
3月12日(水) やめた後の世界。
筆者たちの経験則ではあるのだが、止めたいと思ったことを止めて不幸になったことはないそうだ。
むしろ、それは拍子抜けするほど日常の延長という感じで、これまでなんでそうしなかったのか呆れるほど何も起きないそうだ。
今のところ、僕が止めたいことは無いのだが、確かに野球を止めたとき、ゲームを止めたとき、その後に待っていたのは虚無じゃなくてただの日常であった。
もっと自分ルールとして、止めるを身近に感じられるようにしてみようかなと思っている。
3月13日(木) 世界はうつくしいと。
僕らは不幸なのか、否か。それを考える際に、現代を生きる煌びやかな成功者のことを考えても仕方がないといえる。
例えば今の世の中で、夜道を歩いていると物陰から日本刀で切られて死ぬ可能性は、江戸時代に比べると格段に低いはずだ。
また、昔は不治の病とされた結核も、今は治る病になった。天然痘に至っては撲滅さえ宣言されている。
不幸かどうかはさておき、僕らは昔よりも格段に、ニッチでプライベートなことを気にできるという幸福は感じていてもいいような気がする。
3月14日(金) ”正しい問いを立てられるか”。
著者の二人が最も重視しているのは、自分たちが立てた問いの妥当性、もとい深めれば深めるほどちゃんとそれが面白くなるかどうかの経過だという。
そしてそれがクソだと判断すると、どれだけのリソースを突っ込んでいようが、軽い気持ちでさも当然のごとく捨て去るのだという。
だから二人は、いつでもどこか軽やかだ。色んな事に手を出せるし、と同時に色んなことをぱっぱと止めている。なんと生き易い人生だろうか!
正しく問いを立てられるか。人生の面白さにもつながる、大事な観点ではなかろうか。
3月15日(土) この世におけるもっとも確実な投資。
筆者たちが考える、もっと各々が深く追求すべき問いは何かというと、それは健康なのだという。これは僕もその通りだと思う。
人間の身体というのは本当に摩訶不思議だ。どんなマスデータから得られた結論であっても、それはあくまでも一般論であり、自分に合ったり合わなかったりする。
例えば塩分を摂りすぎると高血圧になるという。だから健康に悪い。ゆえに控えましょう。・・・というムーヴが一般的だと思う。
だが僕は、どうやら人と比較して、驚くほど血圧が低い可能性が出てきた。となれば、塩を控えると、僕の場合はそのせいで健康から遠のく可能性が増してくる。
すごく余談だが、雑に言うと頭が悪いとされる人ほど、例外の存在を認められないのだという。そうなったら僕も終わりだ。そう言い聞かせながら、自己探求は続けたい。
3月16日(日) 誰もが考えるが、ほとんどの人が知らぬ問い。
幸福とはなにか。人はどうすれば幸福になれるのか。幸せな貧乏と、不幸な成金、例外はどちらか。
純粋にそれを知りたい。著者の一人は、自分の貧しくも幸せだった生まれ育ちを振り返りながら、そう語っていた。
そういえばそんなこと、僕はここ何年も真面目に考えていない。僕にとっての幸せとはなんなんだろう、と。
そもそも論、僕は幸せという言葉があまり好きではない。ただの主観、無責任な評価に過ぎないと思うからだ。
それよりは、例えば楽しさとか満たされる感じを追求する方が、僕にとっては有意義だ。
幸せとはなにか。これは深いには違いないが、過度に難しい問いというわけではないのかな、とも思う。
では今日はこの辺で。