最近、自分の中である確信が固まりつつある。それに関してはこれまで何となく考え続けていたことだが、それが明確な形を持ち始めているので、一度整理しておきたい。
僕は今年で34歳になるが、未来の自分が教壇に立って授業をしている姿がまったく想像できない。黒板の前で、熱心に授業をする、そんな未来が現実味を持たないのだ。

代わりに何をしているのかはまだ明確には思い浮かばないが、少なくとも、今以上に集中特化し、授業に情熱を燃やしている未来は、どうしても見えてこない。
この違和感を言語化すると、おそらく僕自身が「授業を極めたい」と思わなくなったからだろう。これ自体、手を抜いているように聞こえて誤解を招きそうだが・・。
では、その代わりにどんな未来を僕は考えているのか。以下、自分でも丁寧に整理しつつ、記事としてまとめていく。
純粋な好きには、絶対敵わない。

会社の中には、授業を心から楽しみ、それに注ぐ努力を惜しまない人がたくさんいる。僕もかつてはその一人だったかもしれないが、今は明らかに違う。
細々したこと、経営的なこと、アドリブな来客対応。そういったものにより予習の時間はほとんど取れず、最後にテキストをざっと確認するだけで済ませることも増えた。
創意工夫を凝らし、周囲を圧倒するような授業を作り上げたい、言葉一つで生徒を導きたい――そういった情熱が、最近まったく湧いてこないのだ。
では、今の僕は何をしたいのか? 答えは明白で、「管理に集中したい」ということだ。
授業が得意で好きな人たちが、思い切り力を発揮できる環境を整えたい。
彼らが授業に専念できるよう、仕事を生み出す側に回りたいと強く思う。そしてたまたまだが、自分がそれに専念すると何が生まれるか、その実験ができている。
実際、今年から管理業務の一部を、ほぼ専任で担当することになった。管理が苦手な人から仕事を引き取る形で、自然とそのポジションにシフトできたのだ。
その間、僕は授業が絶対にできない。必然的に、仕事を絞る必要が生じる。その結果、仕事量こそ増えたが、業務の効率事態もが向上し、終業時間はむしろ早くなった。
何より、この役割にやりがいを感じている。もちろん働きぶりの評価は他人にあるべきなのだが、この経験を通じ、僕自身は一つ確信している。
それは、僕の最適な役割は授業ではなく、管理業務にあるということだ。なんなら、数年後も自分が授業に重きを置き続けているようではダメだとさえ思うようになった。
これは、今の仕事が嫌いになったわけでは決してない。そうではなく、自分の強みを活かす最善の道をついに見つけた、という感覚に近い。
そういう手ごたえがあるのだから、それに関わる時間を増やすことも、そのために他の仕事から軸足を抜くことも、矛盾する話は何一つないと僕は考えている。
・・授業より、管理・運営に力を入れたい。この結論に至れる人は、おそらく社内で僕しかいない。もちろん、多数の方が胸の内で思っていることかもしれないが。
しかし、現状では管理を専門に担当できる人材がいないのが問題だ。そしてそういう構図があるために、英検1級という資格の存在が、最近邪魔になってきている。
例えば、「せっかく1級があるのなら、授業をやればいい」と言われる。しかしその実、その代わりに管理を任せられる人がいない。
結果的に、僕が両方をこなすことになり、負担が増えてしまっている。 どちらも中途半端になっているのが、現状一番のストレスなのは否定できない。
たまに依頼をするにはするが、仕事観のズレが激しい人に依頼すると、結果として、僕の負担が増えるという悪循環に陥っている。
授業”か”、運営"か"。僕は後者に当たりたいとずっと思っている。そして本来の計画では、その転換点は来年のはずだった。
となれば、どのように区切りをつけるかを、今から計画的に考えておく必要がある。1年という長尺であれば、大体のことは目測さえ見誤らなければ、調整可能なのである。
もはやエンディングノートを書いているような気分になってきたが、必要な準備だ。今後の方向性を整理しつつ、適切なタイミングで動けるようにしていきたい。
では今日はこの辺で。