精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

最近、言い訳しなくなった自分に気付いた。

僕自身、大多数と同じく、窮地になると言い訳をする癖がずっとあった。もちろん今も油断すれば、つい口にしたくなることはある。

 

ただ、最近は「言い訳は本当に無駄だ」と心から理解し、意識的にそれをしないよう、自分を御せるようになりつつある。これはどういうことだろうか。

 

自分としても不思議な現象。これは感情の鈍化なのか、はたまた精神的な成熟なのか。なかなかに謎な自己分析だが、今日はこれを基に記事を書き進めてみたい。

 

 

言い訳をしなくなった理由はなんなのか?

 


結論から言えば、それが「不毛だから」だ。なぜなら、いくら言い訳をしたところで、結局は自分が責任を取るという未来に変化が起こることは稀有だからである。

 

言い訳をすると、相手から「言い訳するな」と指摘され、そこから余計なやり取りが生まれ、結果処理すべき仕事が増える。

 

最終的に「誰が収束させるのか」を考えたとき、それが自分ならば 「僕の管理不足です。次はこう改善します」 と即座に動いたほうが、効率的で楽なのだ。

 

結局、最初から「すみませんでした」と認めて、次の対策を示したほうが話が早い。ただそれだけなのだ。プライドなどつゆほども要らない。そういう話だ。

 

責任を取ることとは、本来、自由を得ることと同義。

 


誰が責任を取るかということについては、昔から賛否両論あるトピックだと思う。その是非はさておき、実際には「楽な選択」でもある。

 

すべて自分のせいだと分かっていれば、他人に許可なり説明なりを求めずに、即座に次善策を考えられる。この裁量立場こそが、リーダーや管理職の強みだと感じている。

 

過去の僕みたく、もし中間管理職の立場で 「責任を負わされるのが嫌だ」 と思っている人がいたら、いっそ「言い訳せず、自分の裁量で処理したほうが楽だ」と伝えたい

 

怒られることにはなるかもしれないが、それはあなたが管理職でなくとも同じことだ。ならば少しでも全体としてはスムーズに進む策を選ぶ方が、やはり楽だと感じる。

 

「すべて自分でやる」に陥らないために。


とはいえ、ラクだからと自己暗示をかけて、責任を我武者羅にすべて自分で背負うと、もちろんそこには弊害が生じてくる。

 

それが僕が今陥りかけている状況、極端な属人化だ。他人に対する期待をミニマムにし過ぎた結果、自分の生産性をギリギリまで高め続けないといけない感じがしている。

 

それはいわば、40点の状態を60点に上げるのとはわけが違う。今僕は、ジリジリと80点の生産力を81,82点にしようとしている感じで、この労力は本当に途方もない。

 

しかし求められる生産力は90点のラインにありそうな気がして、つまり僕は、自分のそれを限界まで上げつつあるのに、それでも”足りない”のだ

 

時折自分が、「やる気のある無能」側なのではないかと、疑心暗鬼に陥りそうになる。

やはり何事も振り切り過ぎれば健全とは言えない。

 

言い訳をしない姿勢を続けることで、仕事の進め方や他人への期待値の設定にも、よりシビアな目線を持つようになった・・と言えば確かに聞こえはいいが、リスクもある

 

極端に緩めるのも考え物だが、極端に張り詰めるのも同じくらい考え物だ。僕は中庸を探したい。それは甘えではなく、その域こそが90点の世界ではないかと思うからだ。

 

冒頭にも書いたが、言い訳が減ること、これは感情の鈍化なのか、はたまた精神的な成熟なのか。もし前者なら、僕はただ疲れているだけとなり、やるせなくなる。

 

どこかで一服してから、この辺りに変化が出るか出ないか、そこまで含めて見つめてみようと思う。では今日はこの辺で。

 

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村