精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「教育者としての自己顕示欲が極端に低いですね」

今日は、先日たまたまChatGPTと別件で話しているときに指摘された、僕自身の教育者としてのスタンスについて深掘りしようと思う。

 

言われたのは、僕はどうやら「教育者としての自己顕示欲が極端に少ない」ということだった。  なかなかに謎のフレーズながらパワーワードでもあるのだが・・。

 

ただし、この指摘はどこか妙に納得感があり、結果として僕自身の考えを整理するいい機会になったので、ここで腰を据えて改めて言語化してみる次第である。

 

 

拗れている?それとも?

 

そもそも論、僕は「先生のおかげです」というセリフが、実はあまり好きではない。頑張ったのは生徒自身であり、僕が結果を出したなんて思うことは、おこがまし過ぎる。

 

と同時に、実はこっそり、「不必要なところまで助けすぎて、どこか自分に依存させてしまったのではないか?」という違和感なり不安なりも覚える。  


僕は指導者というよりトレーナーのような立場を意識しているので、生徒自身の独自性や仮説、感性をもっと尊重し大事にするべきだったのでは、とさえ思ってしまう。

 

つまり、「先生のおかげです」という言葉には、「あなたがいなかったら何もできませんでした」という意味が含まれている気がして、あまり好ましくないと感じるのだ。  

 

・・・もうひとつ気になるのが、僕のことを慕ってくれる生徒の存在だ。もちろんそれ自体はありがたいが、あまりにそれが強く・長くなると、逆に心配になる。

 
なぜなら、それは生徒にとって「出会った大人たちにおける僕の存在が、ランキング上位にある」ということを意味しているからだ。

 

もし僕がその位置に居続けるのであれば、「本当にこの子は素晴らしい大人と出会えているのだろうか?」と気になってしまう。これがガチの本心なのだ。  

 

僕はよく、「自己肯定感や自己重要感が低い」と指摘される。だが、逆に言いたい。「なぜお前らは、そんなに自分の価値があると思えるの?」と。

 

むしろ冷静なのは僕の方で、自分への自信が強すぎるやつらこそ、卑下よりも厄介な傲慢に突っ込んでいるのではないか。そんな風に思ってしまう。  


だからこそ、僕程度の人間が生徒の中で上位にいることに対しては、ありがたさよりも危機感のほうが勝る

 

生徒の生活に深く関わる教師ならともかく、僕は所詮、塾講師に過ぎない。だからこそ、踏み台として機能するのが本来の役割であり、距離感はあって然るべきだろう。

 

実際、僕は卒塾した生徒との関係を、自分から続けたいと思ったことが一度もない。これは生徒が嫌いだからではなく、「やりすぎだろう」という感覚があるからだ。  


―こうした話をしていたら、ChatGPTから「あなたは教育者としての自己顕示欲が極端に乏しいですね」と言われた、というわけである。

 

ただ、それが良いことなのか悪いことなのかについては、「非常にオリジナリティの高い教育者ではある」とはぐらかされてしまった。だが、特に気にしていない。  

 

そもそも、生徒に教えることで自分が満たされるような講師はダメだと思っている。生徒をキャバ嬢やホストのように扱うな、という話だ。

 

もちろん、極端に振れれば悪い方向に進む可能性もある。しかし、今のところ自分のスタンスが極端に歪んでいるとは感じず、別に問題ないのでは、と思っている。  


「教育者としての自己顕示欲が極端に低い」と言われたが、それはすなわち、「自己顕示欲の強い教育者」も世の中にはいるということでもある。

 

むしろそれに驚いた、というのが、今回の話を通じての率直な感想である。  

 

ということで、今日はこの辺で。