今日は「人望」や「人を惚れさせること」について考えてみる。最近、このテーマに強い興味や危機感を持っているため、これを説明する話に敏感になっているためだ。
今日も、西野さんのブログ(Voicyの文字起こし)を読んでいたら、「営業から逃げるのは二流の経営者だ」といった話が書かれていた。
これを読んで、首がちぎれそうなほど同意すると同時に、地面に埋まりそうな勢いで落ち込んだ。僕自身、今までは間違いなく営業を避ける側だったからだ。
そもそも、なぜ営業をしないのか。仕組みで集客しようとすることがなぜ愚かなのか。それは結局、どこまでいっても「属人化」―つまり、その人の魅力勝負だからだ。
今日はこの辺りを反省しつつ、「人望」というよくわからないものを科学してみようという記事である。
愛あるワンマン経営だよ。
実際、小売業以外で完全に仕組み化された集客は難しいと僕も薄々気づいている。だから、属人化はむしろ、本当に拡大しきった規模の会社以外、必須のことだと思う。
突き詰めれば、究極の属人化とは「ワンマン経営」ではなく、「この人のためなら紹介しよう」「この人の授業を受けたい」と思わせることだ。
要は人を惚れさせるなど、感情の部分で相手を動かす力こそ、人望の本質ではないか。ならば僕はもっと、「人望」や「人を惚れさせる力」を”狙って”高める必要がある。
と同時に、それが今の自分に欠けている要素だとも納得している。だから考える。では、人を惚れさせるとは何か? それを科学的に分析し再現するのが、今の課題だ。
例えばこの能力は、生まれ持った才能なのか、それとも努力で身につくものなのか。まずはそこの部分の答えを求めて、僕は多くの本を読んできた。
そしてそこには共通点がある。例えば成功者が人生を振り返る本を読むと、そこには「感動した出来事」や、「一瞬で信用・人望を失った瞬間」が、必ず紹介されている。
そうした具体例を抽象化して考察することで、人を惚れさせる要素が見えてくるのではないかと思う。実際、そのような趣旨の本は、巷に溢れているし、持ってもいる。
ただ、これは非常に難しい問題だ。僕自身、自分が「人望がある」とはまったく思っていないし、慕われることもあまり好きではないためだ。
実際僕を慕う人がいると、「世の中にはもっと立派な大人がいるのだから、僕がどうでもよくなるくらい、もっといろんな人に出会うべきだ」と思ってしまう。
だから自己肯定感が低いと言われることもあるが、僕自身はそうは思わない。ただ、誰よりも自分を客観視しているだけだと考えている。
そんな僕が、自分の本音をどう整理し脇において、意図的に人望を高める行動を起こしてくか。この、どこか二面性ともいえる矛盾の折り合いが肝心なのだといえる。
正直、僕は「放っておいても人が集まるタイプ」でもなければ、「人の気持ちを察するのが得意なタイプ」でもない。
むしろ、人の気持ちを汲み取るのは苦手な部類だし、なんなら最近、デリカシーがないと言われることもある。このテーマについて考えるのは、本当に難しい。
ここを習得することはつまり、芸術にまったく興味のない人が、芸術の良し悪しを理解するまでの道のりに似ているかもしれない。
「そんなの本当に存在するの?」と疑わしく思う部分もあるが、人を惚れさせるというのは、少なくとも霊的なモノよりは普遍的な話だといえる。
僕自身、誰かの行為に深く感動したこともあるし、逆に「喜ばせようとしてくれたのは分かるけど、なんか違うな」と思ったこともある。
もちろん、僕が誰かを喜ばせようとしたのに、うまくいかなかった経験もある。このあたりを客観的に分析し、「研究対象」として丁寧に考えていくのは有効かもしれない。
人望や人を惚れさせる力は、感情的な要素、運的な部分が強い印象を持つが、それでも学び続ける価値はあるだろう。
スイッチが入れば、観察すること自体が面白くなるかもしれない。健全な属人化を、僕は積極的に進めたい。
ということで、今日はこの辺で。