精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

僕は「幸せ」という言葉の使いどころがわからない。

今日は少し仕事とは関係のない話になるのだが、ふと「自分にとっての幸せとは何なのか?」ということを、漠然と考えてみたくなった

 

僕自身、今が幸せかと聞かれると、正直答えにくい。きっと、幸せなのだろうとは思うが、世間一般が「これがあれば幸福だ」と言うようなものを僕はほぼ持っていない

 

そのため、社会的に見れば、むしろ僕は不幸な部類に入るのかもしれない。だが、別にそれをネガティブには感じていない。僕の人生として納得しているからだ。  


そもそも、「幸せ」という言葉が何を意味しているのか、僕にはよく分からない。実際、例えば「これをしているとき、幸せだなあ」と思うことは、あまりない。  


代わりに「楽しい」とか「落ち着く」とか「いい時間だな」と感じることはある。けれど、「幸せ」という言葉だけは、意識的に避けている気がする。

 

この裏には、何が隠れているのだろうか。それに興味を持ったので、以下それに関する話を書いていく。

 

 

"I'm happy." ・・なんて例文以外で言わないんだよなぁ。

 

言わないという意味では、「幸福」も同様だ。このブログも、すでに2,000記事を超えているが、「幸せ」や「幸福」という言葉は、ほとんど使っていないはずだ。

 
特に、「僕」を主語にしてそれらの言葉を使っていることは、まずないと思う。それくらい、僕はこの言葉を避けているという自覚がある。


もちろん、幸せという状態や言葉については、いろんな本や話を通じて接してきた。文脈や説明を追ったうえで、はっきりと共感することも、当然ある。

 

しかしやはり、いわば青い鳥のように「いないと分かっていても追いかけてしまうといった類のもの」だと感じている。あるいは、白馬の王子様のような存在かもしれない。  
追いかければ追いかけるほど、かえって不幸になっていく気がする。幸福の象徴としてのみならず、どこか破滅へ誘う悪魔のような一面もあると、やはり思う


そんな僕だが、中学や高校の頃は、自分なりの「幸せの定義」みたいなものがあった。しかしそれらはいずれも、どこかステレオタイプで、かつ独特なものばかりだ。

  
たとえば、静かな住宅街に家を建てて、陽だまりの中で読書をする──そんな時間を想像して「幸せそうだな」と思ったこともある。

 
あるいは、真夏に港町をあてどなく散歩できたら、それは幸せな時間だろうなと思ったこともある。ちなみにこれは、当時観ていたAirというアニメの影響だが。

 

また、高校生や大学生の頃には、「彼女ができたら幸せなんだろうな」と思っていた時期もあった。 これもまた、いわば幸せと成功の象徴だからだ。


ただ、どれも実現はしていない。そして、仮に実現しても、それで幸せになるとは思えない。さらに言えば、実現していない今も、別に不幸ではない

 

僕にとって、そうした「社会的な幸せ」を得るために支払うコストは、金銭的にも精神的にも非常に大きなものであるくせに、リターンがとても少ないと思っている。

 

結局、幸せという言葉は、自分の思いや社会との向き合い方の解像度を高めれば高めるほど、軽々しく口にしたくなくなる。  


むしろ、「幸せではない」と言い切ってしまったほうが、自分にはしっくりくる感覚すらある。だからこそ、幸せとは、本当に扱いづらい言葉だと思う。

 
実際、「幸せですか?」と聞かれると、正直困ってしまう。しかし、「充実していますか?」と問われたら、「はい」と答える。


僕は基本的に、やりたいことはするし、それでいて貧乏をしているわけでもない。例えば市井では物価の上昇を嘆く声も多いが、特段それが影響している感覚はない。

 
なんならむしろ、日々ランニングコストを下げようと、節約について自由研究のように試行錯誤し続けている。積極的に裕福を捨てつつも、そのプロセスが楽しい。

 

やはり僕にとって、「幸せ」という言葉は、ある種の「到達点」を意味している。その「到達した状態」に自分を置き続けることに、僕はあまり魅力を感じない。

 

常に「道半ば」に自分を置いていたい。すべてを分かった状態のまま生きていく──そんなことは望んでいない。

 

むしろ、「すべて分かってしまう瞬間」など、死ぬときまで、永遠に来ないでほしいと願っている。これが、幸せという言葉と自分が相容れない理由なのではないか。  

 

例えば、そういう意味で、資格試験や勉強というものは、取得”まで”が一番楽しい。資格を取ってしまうと、急に興味がなくなってしまうのだ。

 

そんな自分だからこそ、「幸せとは何か?」と考えても、どうしてもその言葉に違和感を覚える、ということかもしれない。

 
僕にとって「幸せ」とは、あまりにも自分にそぐわない言葉のように感じている。だから別に、追及する気もあまりなかったりする。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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