僕は今、仕事において一つ腹を括ったことがある。それは属人化の積極推奨だ。僕がもっと顔役になり、没個性のような状況を打破するというものだ。
僕自身が魅力ある容姿であるとは口が裂けてもいえない。だが、魅力的な人とは、そこを超越した次元で、科学できるのではないか。分析も再現性もあるのではないか。
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その前提に立った方が希望があるし、そう思った方が観察していて楽しい。あの経験はなぜ感動的だったのか。あのやり取りはなぜ心に残っているのか。
僕の中の子供の部分が、久しぶりに起動し、毎日ヒリつくと同時に、どこかワクワクする気持ちさえこみ上げてきた。
だからこの本を読む際も、すごく当事者意識をもって読める気がする。では以下、本題である。
- 3月31日(月) 世界に飛び出せ!
- 4月1日(火) 心の底から俺はすごいと思っている奴からは距離を置こう。
- 4月2日(水) 起点こそ「わからない」。
- 4月3日(木) その問いは正しいのか?
- 4月4日(金) 続・その問いは正しいのか?
- 4月5日(土) まず目的から始めよ。
- 4月6日(日) ルール破壊か、裏をかくか。
3月31日(月) 世界に飛び出せ!

オダマキ博士 | 『ポケットモンスター オメガルビー』『ポケットモンスター アルファサファイア』公式サイト
筆者の座右の銘は、実験室で行われる現実世界のシミュレーションに終始することなかれ、とのこと。
むしろ研究室で使う手法を現実世界で応用し、新たなメガネをかけて世界を観察してみようぜ、というノリだった。
この具体例としてわかりやすいのは、算数あるいは数学と物理や化学の関係性ではないか。
数学者が作った公式という道具を用いて、様々な物体の挙動を紐解く。そしてその道具は、なにもこういう数式だけとは限らない。
例えば確率、例えば統計学。データさえあれば、それを紐解く道具はこの世に溢れている。
そのことを体現しているからこそ、筆者の言葉は飄々としつつも重みがあると思わされる。
4月1日(火) 心の底から俺はすごいと思っている奴からは距離を置こう。
ダニング=クルーガー効果という話が、痛烈な皮肉ながら世の中の真理な気がして、大好きである。
乱暴にいえば、「能力が低い人ほど自分に自信があり、自己評価が高い」というものだ。もちろん統計の話ゆえに、例外もあるけど。
なぜそんなことを思ったか。自称ワイン通の人たちに、その格付けを行ってみたところ、素人と大差なかったというアンケートを見たからだ。
そういえば自己肯定感拗らせていた頃は、僕も僕を高く見せようと、謎のことを頑張ってほざいていた気がする。
今はそういう人たちを、ほほえましさ二割、キモさ八割で見れるようになった。これは成長なんだと信じよう。
4月2日(水) 起点こそ「わからない」。
「わからない」が言えるようになると、何が起こるのか。実はそこから生まれるものが、「調べてみよう」というアクションだ。
合っているならそれでいい。間違っているなら答えを見ればいい。それぞれ、それだけで完結する話だ。
だが、そこを見ても「わからない」となれば、自分で実験して調べてみることでしか、答えを得て、疑問を解決する方法はない。
そしてそここそがある種個性が生まれるところで、ひっくるめれば価値が生じやすい、そんなブルーオーシャンなのではと思う。
4月3日(木) その問いは正しいのか?

最近、ストレッチにハマっている。それによって身体機能が高まったり改善されたりという直接的な効果も勿論だが、単にそれを通じて自己理解が深まるからだ。
僕は昔から、姿勢が悪いと言われてきた。具体的には、背中が丸く、自信なさげに見えるという。だから姿勢を”よくわからないけどちゃんとしよう”と思い続けてきた。
しかし最近、背中が丸いということを、全く別の表現で解説している動画に出会った。それによれば、「巻き肩で、大胸筋が固く、肩甲骨が下制しにくい癖」だという。
今はそれを基に、それぞれを改善するエクササイズを試しているところだ。特に肩甲骨の下制を高めるものが効果ありと感じており、姿勢に対する意識も変わった。
姿勢の悪さは、「背筋を伸ばせばいいのでは?」という問いでは改善に向かなかった。全く答えに辿り着けないときは、問い自体を疑うべきということの好例だと言える。
4月4日(金) 続・その問いは正しいのか?

問いをきちんと立てることは、その後のプロセス全てを占うほど重大な起点となる。これが何度も書かれている。
例えば、思春期の男子であれば、大体は「なぜ俺に彼女ができないんだ?」と考えたことがあると思う。
この後は大抵、「俺に魅力がないからだ」→「魅力とはなんだ?」と論理的に進行していくことが多い。
ただし、そもそも最初をこう捉えたらどうか。「そもそも俺はなぜ彼女がほしいと思うんだ?」
それが例えば、寂しさの裏返しなのか、社会的な箔への憧れなのか、単に肉欲が溢れそうなのか、色々可能性はある。
となれば必要なのは彼女じゃないんじゃない?という答えが出てくることもある。これが問い立ての面白いところだ。乱暴な例だが、僕はそう感じている。
4月5日(土) まず目的から始めよ。

物事は目的に立ち返ってから考えると、シンプルな構造を取り戻すとよく言われる。例えば、「生徒を増やす!」と思うのはなぜだろうか。
それは売り上げを増やしたいからだ。なぜ売り上げを増やしたいのか。それは社員へ給料を払うためにも、それは必須だからだ。
そしてここから問いを立て直す。増やすべきは売り上げではなく利益ではないか。利益を増やすという目的であるなら、経費削減も手段の一つになるではないか。
実際、顧客を一人増やすより、ウマく人員配置を変えてコストを減らす方が圧倒的に楽で、果たせることも変わらなかったりする。
視点の変換が大事なのは、こういうところからもわかる。奥深い話である。
4月6日(日) ルール破壊か、裏をかくか。
ルールの範疇であれば、その中で行われるあらゆることは、インチキではなく創意工夫としてカテゴライズされる。
そこが未発達の分野の中で、そのことに飛びぬけた才能と行動力を発揮したのが、フードファイターの小林尊氏であるという。(この本の話題もwikipediaに載っていた)
早食いの本質とは、制限時間内にいかにたくさん腹に入れるかであり、実際その方法は問われていないのだ。だから彼は、パンを”水に浸し、そして飲み込んだ”のだ。
ホットドッグの食べ方としては邪道だ。だが早食いのルールとしては正解だ。ここに求められるのは割り切りではないかと思う。
最近でも、ベンチプレスについて競技者とビルダーが謎の論争ぽいことを繰り広げているが、本心は互いが互いに「うるせーな」としか思っていないのではなかろうか。
そしてそれでいい気もしている。人は結局分かり合えないものだというのが、僕の信じていることなので。
では今日はこの辺で。