今日は、僕の中で最近解けた一つの謎についてシェアしたいと思う。それが「ホウレンソウ」という言葉についてである。
別のブログでも伝えたが、僕はこの言葉が結構嫌いだ。報告・連絡・相談をした結果、自分が矢面に立たされる場面を何度も経験してきたためだ。
だから同時に「責任は俺が取る」という言葉も嫌いであり、それもあって僕は「ホウレンソウ」を強制・徹底”させられる”ことには、言い知れぬ嫌悪感がある。
とはいえ、何が起きたかをすぐに共有するという考え方には賛成であり、風通しをよくするためにも、報告や相談は、実は自主的に、かつ頻繁に行っているつもりである。
しかし、時々指摘されることがある。それは、「今の君のやつは報告じゃなくて独り言だよ」というものだ。聞いた側は「何をすればいいの?」と困惑するという。
そもそも報告とは、相手にアクションを求めないものだと思っているため、僕としては「別に読んだらスルーしてくれればいいのに」という感覚でしかなかった。
しかし、僕にとっては”報告”をしたつもりでも、相手からすると”独り言”に聞こえるとなれば話は別だ。いたずらに猜疑心に似たものを引き起こすのは、できれば避けたい。
では、何をしたら「報連相」になり、何が原因でそれは独り言になってしまうのか。そのさじ加減をずっと知りたいと思っていた。
これについて、またChatGPTに相談してみた。色々と整理しながら考えてみたところ、ウマいことひとつの結論に至れている。今日は以下、その話を書いてみる。
情報は手渡しで。
それは端的に言えば、「利害関係者のみにオープンな報告を挙げること」である。僕はこれまで、全て全体で共有した方がよいと考え、グループラインなどで報告してきた。
しかし、そうすると直接の利害関係者ではない人たちが多数いる状態になり、それが「独り言」と受け取られる原因になっていた、という指摘を受けた。
これには非常に納得した。全体への可視化は一見美談に見えるが、利害関係のない人にとってはどうでもいい情報になり、結果として「独り言」のように見なされる。
それは至極当然の反応だと、僕は理解した。確かに僕も、誰に言っているのかわからない、少なくとも僕には関係ない話がオープンに投下されると、反応に困る。
例えば、これは僕に行動を促しているのか?報告の皮を被っただけの依頼なのか?それとも他に他意があるのか?そういう裏を考えるだけで、気持ちが疲れてくる。
このスッキリしない感じこそ、「こいつは独り言言っているのか?」という疑念を生じさせる最も根幹のものであり、僕が改めるべきバグの端的なツボだと理解できる。
しかしその原因さえわかれば、改める方法など非常にシンプルである。今回の案件で直接影響が出るのは誰かを確認し、その人たちだけに報告すればよい。それだけの話だ。
つまり、報告という名のものとに、関係ない人にまで無駄に情報をばらまくことは控えるべきだ、ということである。理解できていなかった自分が恥ずかしいが…。
今後は、そういったさじ加減も踏まえた、建設的で意味のある「報連相」ができるよう、意識していきたいと思う。
と同時に、さらに言えば「報連相のつもりが独り言になっている人」に対し、この構図まできちんと伝えられるようになっておけば、未来のミスも減らせそうだと思える。
転んでもタダでは起きない。自分の性格の愛しくも頼もしい部分が発言してくれて、誇りに思う。ということで、今日はこの辺で。