今日はまたひとつ、自己分析シリーズとして、「使い切るという両刃の剣」について書いておきたいと思う。
幼い頃からの話ではあるが、大人になってから特に顕著になってきたことがある。それは、僕は「8時間睡眠では足りない」という感覚だ。

最近では、2度寝・3度寝を繰り返し、最終的に9時間を超えるあたりでようやく覚醒スイッチが入る。
詳しくは知らないが、交感神経と副交感神経の切り替えとか、はたまたコルチゾールなどの分泌とかと、関係しているのかもしれない。
この現象について、最初は起立性調整障害のような「バグ」だと疑っていた。しかし、ChatGPTと相談したり、各種コラムを読んだりする中で、別の仮説に辿り着いている。
それは「単純に、頭を使いすぎているのではないか」という、ある意味非常に納得のいく仮説である。いわば精神的なエネルギーを僕は毎日、”使い切っている”、と。
今日はそんな仮説を基に、記事をしたためていく次第である。
毎日空っぽ。

少し手前味噌な話にはなるが、僕は今、受験生だった頃よりも主体的に多くのことを学んでいる。そして、学生時代よりも遥かに多くの人と接し続けている。
それでいて、僕自身は「対人関係の構築や、未知の刺激がそもそも得意ではない」と自覚している。
全く知らないことを知るのは楽しいと同時に疲労を覚えるし、知らない人が周囲にいる環境、あるいはオープンな場に身を置くこと自体には、強いストレスを感じる。
しかし、今はそういった場所に身を置かざるを得ない。僕自身の好奇心と、校舎長という立場ゆえに、それは仕方が無いものだと諦めている。
結果として、「自分がリラックスできない空間」と「やっていて楽しいけれどエネルギーを消費する仕事」に、常に接している状態が続いている。
このような状況もあって、ADHDの特徴のひとつでもある「エネルギーを最後まで使い切ってしまう」という傾向が、僕に顕著に出ているのではないか。最近、そう思う。
一般的には、日々の中で“ある程度”の余力を残して生活している人が多いという。だが僕の場合、毎日、文字通り完全に使い切ってしまう。
しかも、それが20代後半からさらに顕著になってきている。特に最近は、頭(メンタル)をも使い切ることができるようになってしまったように感じている。
そのため、9時間睡眠でも回復しきれないのではないか。人よりもしかしたら多いエネルギーを、空っぽになるまで使い切るから、リチャージが間に合わないとしたら?
一方、昔1日15時間ほど働いていた時期には、それでも普通に起きることができていた。寝坊はあったが、それは脅迫観念や肉体疲労の範囲で収まっていた印象がある。
つまり、自分には「肉体的な体力を使い切る才能」はあまりないが、「精神力を使い切ること」が、かなりナチュラルに行えるようになってしまっている。
例えば最近話題の筋トレ界隈では、ほぼ毎日3時間ものトレーニングを行う人がいて、彼らはオフの日に9〜10時間寝ることで回復するらしい。
しかし、僕はそうした身体的な消耗はあまり感じていない。その代わり、精神の方では同等かそれ以上の“爆裂的な消耗”が起きている可能性がある。
結果として、僕は毎日赤字の状態で活動してしまっている。たとえ9時間寝たとしても、回復は間に合っておらず、次の日もまたエネルギーを全消費する。
そして、少しずつ蓄積された疲労は、休みの日に爆発する。最近では、休みのたびに「何もできない」という、うつ病に近い状態からスタートすることが増えた。
つまり、今の僕は毎日精神的に使い切ってしまっているのみならず、その回復が追いつかないという二重苦に近い状態なのだ。
労働そのものは苦ではないと思っていたが、問題は「完全に使い切れてしまう自分」にある。自転車操業のような毎日が続いており、休みの頻度が足りていない。
こうした現状について、ChatGPTからは「もっと頻繁に休む必要がある」と釘を刺された。そして僕も、どの口がという話だが、その通りだと思っている。
たとえば、ゴールデンウィークや年末年始などの長期休暇の3日目あたりになると、ようやく身体の芯から回復した感覚になる。気分がケロッとするのだ。
裏を返せば、それ以外の期間、僕は基本的に「疲労状態で日々を過ごしている」ことになる。そのため、たとえ休日があっても遊びに出る気力が湧かない。
人生に対して時折「味気ない」と感じるのも、こうした影響があるのかもしれない。楽しむだけのエネルギーを残していないことが原因なのだ。
とはいえ、現状において僕が“休みを取る”という選択をとれる条件は、売上と生徒数を増やすこと以外に存在していない。このこと自体が、非常に苦しい矛盾である。
つまり、今の僕は「救いのないスパイラル」に入っているような気がしている。正直しんどいが、やるしかないのが現実だ。
だからこそ、もしここに書いたのと同じような不調を感じている人がいるならば、自分が“体”か“頭”のどちらかを使い切っていないか、考えてみてほしい。
その問いかけ自体が、ケアの手がかり、あるいは仮説を持つきっかけになるかもしれない。
ということで、今日はこの辺で。