精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

なんで僕は人に仕事を依頼しないのか。

僕は周囲から見ると「1人で抱え込みがち」なタイプに見えるらしく、「もっと周りに仕事を頼め」「もっと頼っていい」といった指摘を、わりと高い頻度で受けている。

 

しかしそういう配慮とは、翻訳するとつまり「言われたらやるから、必要なときは遠慮なく言ってください」といった内容になることがほとんどだ。

 

だから内心では、「その“言われたらやる”の時点で、もう違う」と感じている。そういう違和感が、僕から誰かへの仕事の依頼を阻んでいる気が、薄々している。

 

もちろん、それだけが理由ではない。僕があまり他人に仕事を頼まないのは、頑固だからという要素もあるにはあるが、もっと根深い理由がある

 

聞く人によっては、「何をそんな寂しいことを考えているんだ」と呆れられるかもしれないが、それでも一度、自分の言い訳として整理しておきたい

 

では以下、本題である。

 

 

 

わかられない。どうでもいい。

 

僕が他人を頼らない理由は、極端に言えば「理解してもらうまでのプロセスが面倒くさすぎるから」である。

 

自分で言うのもなんだが、僕が思いつくことというのは、多くの場合、複雑な連想や情報の積み重ね、あるいは本の内容から出てくる。前提がかなりズレているのだ。

 

たとえば「最近読んだ本に、こういう教えがあって、それを踏まえて自分の現場を見直したら、確かにここが足りない。だからこういう手を打ちたい」という風に。

 

だが、こうした経緯を一つひとつ説明しても、たいていの場合「面倒だ、手間だ」と受け取られてしまう未来しか見えない。そして、それは僕自身も自覚している。

 

だから、説明してもしなくても、結局「伝わらない」し、すなわち「協力してもらえない」という前提が、強くこびりついてしまっている。

 

理解してもらうための努力を、僕はなぜだか全然肯定することができない。それは徒労を認めることと同義であるためだ。

 

であれば、説明に使う時間で僕が稼働し、一つ仕事を終わらせた方が合理的だと判断してしまう。少なくともここ数年は、そうやって過ごしてきている。

 

それが僕の基本姿勢なのだが、それは恐らく、「理解してもらうことにさほど興味がない」という僕の良いとも悪いともいえる癖から生じているのだと思う。

 

手前味噌だが、僕がやっていることは大体「なぜそんなことするのか、なんで無駄に忙しくするのか」と言われる類のものばかりだ。

 

だが僕に言わせれば、「なぜこれに気づかないのか、改善しようとしないのか」と、突っ込みたくなることばかりなのである。

 

それくらい、いろいろな“エラー”が見えてしまう。そして、見えてしまったエラーは直したくなる。また、本で得た知見などはすぐに現場に反映したい。

 

そういう衝動性も強いため、人を巻き込んで段取りを整えるような時間は、今の僕には存在していない。それすらも勿体なく思ってしまう。

 

もちろん、僕の好奇心や熱量を汲み取ってくれて、同じ価値観を持った人と出会えれば話は別だろう。ただ、そういう「たられば」の話は好きではない

 

青い鳥も白馬に乗った王子様も、現実にはいないと思っているタイプなので、結局は「配られたカードでどう戦うか」に尽きると受け入れている。

 

そうなると、最も速く確実に進む手段は「1人でやること」しかない。そこにはもう割り切っている。だからか、「なんで抱え込むんだ」と言われると、正直モヤっとする。

 

そうはいっても、仮に「じゃあ話を聞こう」と気を使われても、「いや、そういうことじゃないんだよな~」と、どこか斜に構えたことを思ってしまうだろう。

 

僕はやはり、「耳を傾けてほしい」わけでもなければ、「理解してほしい」わけでもない。ただ、「勝手にやらせてくれ」という気持ちが、強くあるだけなのだろう

 

これを寂しいという人はいるのだろうか。正直それ自体、まるで興味はないのだが。ということで、今日はこの辺で。

 

 

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