今日は休みが嫌いなわけでも多忙が好きなわけでもない、という言い訳をテーマに、記事を書いておこうと思う。
ゴールデンウィークが終わり、今日がその初日である。実を言うと、ここからしばらくは2週間ほどの連勤になる見込みなのだが、正直なところホッとしている部分がある。
ちょうど今はテスト週間真っ最中という時期でもあり、このタイミングで連勤の必要がないほど予定がスカスカであれば、それはむしろかなりまずい状況だからだ。
だからこそ、予定がきちんと埋まっていることには安心している。そして予定が埋まっているからこそ、その流れに乗っていくことが大事だと納得している。
・・・ここからが本題だが、僕は以前から「定期的に休みなさい」という類の言葉に対して、微妙な違和感を覚えることが多かった。もちろん今もそうなのだが。
ただし、連休そのものが嫌いかというと、必ずしもそうではない。また、間違っても多忙が好きと言われても、それはそれで全力で否定をしたい。
それはなぜか、以下言い訳を並べていく。
和を乱さない。
僕が本当に嫌なのは、「働くべきときに働くリズム」や「休むべきときに休むリズム」を”乱されること”。最近は、このことがようやく自覚できてきた。
こう考えると、連勤中に休めと言われたり、逆に連休中に仕事の依頼がきたりすると、とてつもなくストレスがかかるのを自覚することの説明がつく。
つまり、流れが大事なのだ。仕事に打ち込むべき流れにせよ、休んでおくべき流れにせよ、それをヨソの都合や制度でねじ曲げられることに、僕は強いストレスを感じる。
だからこそ、例えば休暇を促す声掛けに、違和感が拭えなかったのだと思う。それはたまたまだろうが、僕にとっては働くべきタイミングで掛けられてきた言葉だからだ。
僕は、自分が休むべきタイミングではしっかり休むし、そうでない時は別に無理に休まない。簡単に言えば、その基準がカレンダーの日付ではないってだけだ。
つまり、自分の中にある基準に沿って動いているだけで、それを他人の言葉で後押ししてもらう必要はない。暴走しているわけではないのだ。多分。
実際、このゴールデンウィーク中はきちんと6〜7連休を取り、その間は本当に何も仕事に関することはしていない。むしろなるべく拒否し続けてきたくらいだ。
念押しになるが、僕はやはり休みという行為や時間が心底嫌いなのではなく、「自分のリズムが切られること」が嫌いなだけなのである。すなわち相対的なものなのだ。
我ながら難儀な性格だとは思うし、そういうのもあって、ご厚意で僕にオフを薦める人たちに対し、どこか後ろめたい気持ちも割と抱いている。
厚意自体が嫌なのではないし、大事さも理解しているが、それらは大体僕にとって「今じゃないんだよな」というときが多く、ジレンマはこうして募る一方なのである。
今後しばらくはまたしても「休まないモード」に突入していく見込みではあるが、それもまた自分の流れに従った選択であり、無理をしているつもりはない。
この流れを尊重して、また走り出していきたいと思っている。ただ同時に、周りの人のご厚意にある程度乗っかれるような器のデカさがいずれ宿ることを願って止まない。
ということで、今日はこの辺で。