僕は以前から何度も書いている通り、読書が好きだ。読書の冊数そのものは決して多いわけではないが、起床後と就寝前に別々の本を読むというのが日課である。
その本は大体が実用書とされるもので、その時々の自分に必要だと感じるテーマを学ぶ目的で読むことが多い。ただ、シンプルに娯楽目的で小説を読むこともある。
ただ、どのジャンルにせよ、あるいはなんの本を読んでいるにせよ、その読書中には、ある種の“現象”が起こることに気づいている。
それは、著者の思考や考え方、あるいは“思考のフレームワーク”のようなものが、自分に乗り移るような感覚である。こう書くと、ちょっとスピっているが・・。
ノリとしては、漫画を一定時間読んでいると、頭の中に浮かべる画風がその人のタッチに似通ってしまうという、あの現象と同じだ。
そしてこの現象を知っておくこと、そして知ったうえで特定の手を打つことは、より豊かに本を読むためにも必須の情報であると僕は納得している。
以下、そんな話をつらつらと書いていこう。
顕在意識を塗り替えるのはそんなに難しくない。
たとえば、斎藤一人さんの本を読んでいる時は、人生を明るく、楽しく、そして豊かに生きるための考え方が頭の中に根づき、フィルター自体がそれになる。
「今この瞬間をどう楽しくするか」という視点が、自然と日常生活に混ざってくるのだ。そして行動も思考も、そこが起点として動くようになる。
あるいは、最近『無敵の思考』という本を再読しているが、そこでは「自分ルールを決めて生きる」というスタイルが提唱されている。
結果、僕の中でも、買い物一つ取っても「これは自分ルール的に得か? 必要か?」といった問いを自然と立てるようになっている。
つまり、教えを“実行している”というよりも、著者の考え方そのものが自分に“表意”され、自動的に行動が変化する感覚なのだ。顕在意識の塗り替えは、簡単なのだ。
この現象の面白い点は、それがずっと続くわけではないということだ。それ自体は当たり前の話なのだが、その賞味期限は、思った以上にずっと短い印象である。
例えばその本を読了したり、別の本に切り替えたりすると、驚くほどあっさりと“憑依状態”が解けて、また新たな思考モードが上書きされる。顕在意識のチョロさたるや・・。
したがって、あるテーマや著者の哲学について深く学びたいと思うのであれば、工夫によってある程度の期間、継続的に接し続けることが不可欠だと感じている。
僕自身、これを以前ブログでも記事にしていたのだが、これ自体はやはり間違っていないと思っている。しかしその期間は思ったより長く、1ヶ月でも足りないほどだ。
憑依の状態はいわば“入門”、あるいは”気のせい”に過ぎず、それが潜在意識に定着し、自分の判断基準そのものに変わっていくためには、気の遠くなる時間が必要だ。
やはり一定の経験値と、接している時間の蓄積が必要だ。ある本に感銘を受けた話を読んでいても、その衝撃によって何度も再読している様子が付記されているように。
やはり読書を通じて考え方が自分に“憑依”するという現象は、スピでもなんでもなく確かに存在するが、それが長期的に持続することは稀である。
だからこそ、そこを踏まえて読み方や向き合い方を工夫する必要があるし、そうすることでより満足度の高い読書に至れるのではないかと、今あらためて実感している。
ということで、今日はこの辺で。