ストレスマネジメントという言葉がある。別にそこまで興味がある言葉ではないのだが、普段からカリカリしていると人望を無くすので、頭の片隅には置いている。
とはいえ、別段難しいことは自分に課していない。単に、「自分にとっては何が強いストレスになるのか」をしっかり把握し、なるべくそれを生活から除去しているだけだ。

そして具体的に何に対してイライラし易いかを並べて、その共通点を抽象的に括るというのを繰り返していると、やはり共通する「ある一点」が見えてきた。
僕にとってのストレスやイライラの根源は、やはり【未】である。今日はそんな謎の話をつらつらとまとめていく。
「いまダ…ず」ものが溜まれば溜まるほどイライラする。

【未】という字は、高校の漢文の参考書を開けば、「再読文字」の一種であり、「いまダ…ず」という読み方をする、と書いてある。
カジュアルに訳せば「まだやってない」という意味で、実際僕の生活や脳内において、「まだやってない」ものが溜まれば溜まるほど、僕はわかり易くイライラする。
このこと自体は昔から気づいてはいたが、最近色々と思い直した結果、僕が【未】と思うものは、かなりその定義が曖昧かつ広いという仮説が立ちつつある。
例えば、意識しながらもまだ終わっていないタスクは当然だが、自分の感じた感情などの言語化が済んでいないといった際も、どうやら【未】に含まれるらしい。
即ち僕にとっては、「クリーニングに服を出していない」のも、「昨日感じたイライラを言語化できていない」のも、「プリント作成が終わっていない」のも全て等しいのだ。
これら一つ一つがテトリスのブロックのようなものであり、それらが無作為に積み上げられていくと、音楽のテンポも上がり、嫌でもストレスは増大していく。
幸いにして崩れたことは今まで一度もないのだが、臨界点を超えて感情的に爆発したことはゼロではない。そのときに抱いた後悔の強さは、今でも覚えている。
だから最近取り入れているのは、職場、寝床、リビングに1つずつ手帳を置いておき、頭の中に【未】を感じたら、それを都度書き出すというものだ。
これは昔書いた記事の内容とほぼ同じだが、僕にとっての手帳とは、鼻炎持ちの人にとってのナザールであり、依存というよりQOLを維持するための必須品なのだ。
脳内に澱のごとく溜まったタスクや感情を書き出すことで、僕の中に積みあがったブロックは連鎖を起こして消える。そのタイミングは、結構な快感である。
堀江貴文氏もこの感覚は「キタナイ話だが、便秘が治って全て出したときの感覚に似ている」と著書で形容していたが、それには強い共感を覚える。
とはいえ「片付けるだけでOK」とはならないので注意。

僕は将棋ができないのだが、羽生善治氏の著書は好きで、その極めて緻密でロジカルな思考に強い憧れを持っている。
調べてみると、プロ棋士同士の対戦では平均して100手~150手程度で決着するとのことだが、終盤の局面が序盤で決してくることもしばしばだ。
正直、仕事も同じだと思っている。僕が完了させたり言語化したりしたタスクや感情は全て、巨大な構造物の基礎の、さらにその一部だという認識がある。
だからこそ、「終わった!」という感覚は同時に、次の仕事の布石になっており、そこまで目を向けると、僕の裁量から永遠に「完了」が消えてしまうことも承知している。
無邪気に書き出してキビキビと解決する。これは確かに、精神衛生上良いことには違いないが、それを機能させるには「どこまで先を考えるか」の線引きもマストになる。
僕の場合は一応、「最終的な目的に繋がっていること」「このペースでやれば期日までに終わること」が満たされていれば、無理に進めずそこで止めるようにしている。
傑作ほど、コツコツとやっていたらいずれ完成しているといった表現がしっくりくるものだ。そのことをやはり、まざまざと実感する話である。
では今日はこの辺で。