今日は、「悪い噂は翼を得たように広がる」という話を、主に自分への注意喚起として記録しておきたい。
先日、生徒が何気なく話していた内容の中に、興味深くも怖い示唆が含まれていた。ある他塾の様子について、生徒が友人から聞いた話を教えてくれたのだ。

その内容というのは、「授業が始まったら適当なプリントをポンと渡され、それを解くだけで授業時間が終わる」というのが1つ。
それとは別に、「『ここやっておいて』と指示を出した後、講師が隣でずっとスマホを触っている」というのを言っていたと聞き、それはにわかには信じがたいものであった。
それを聞いた当の生徒は、「でも、この塾は面倒見がしっかりしてるから、僕は好きだよ」と言ってくれた。
普通ならこのコメントが全ての嬉しい一幕のはずだが、僕は素直に喜べなかった。むしろ、背筋が少し冷たくなるような感覚を覚えた。
今日はそんな話を書いていこう。
悪い噂は、”翼を得たように”、広がる。

なぜ怖くなったかというと、「そんな塾、あるわけがない」と直感的に感じたからだ。どこまで盛られた話なんだと、驚きと同時に、正直少し呆れたくらいである。
プリントを配って放置するだけの授業、スマホを触りながら生徒を無視する講師――そんなお粗末な運営で校舎が続くはずがない。
もし本当にそうなら、資本主義社会の原理に基づいて、すでに淘汰されているはずである。存続している時点で、つまりそうではない、ということだ。
つまり、こうした話の多くは、誇張されているか、誤解が含まれている可能性が高い。人間は本能的にゴシップを好むというが、ここまで露骨に編集されるのか、と。
たとえば、プリントを活用した授業が全体の7〜8割を占めていたとしても、残りの2〜3割は丁寧に解説していたかもしれない。
あるいは、スマホを触っている理由が、生徒の出欠管理や学習記録の入力である可能性もある。
しかし、生徒当人が実感して「そう捉えた」ことが、事実以上のリアリティを持って広まることがある。そこに、この話の本当の怖さがある。
悪い噂というものは、良い噂の何倍もの速さで広まりやすい。しかも、脚色されながら、まるで翼が生えて分裂するかのように拡散される。
だからこそ、こちら側の情報管理・クオリティ管理は、徹底して構えておかないといけない。
正直、良い噂は「運ゲー」に近いものである。一方で、悪い噂の出発点は、なにがトリガーになるかは予測がつきづらいが、再現性があることがほとんどだ。。
記憶に残るようなマイナス体験をさせてしまった場合、それがどれほど小さなことでも、敏感な人が盛った情報を真実として拡散してしまう可能性がある。
だからこそ、基準から一歩も外れないような姿勢・言動の一貫性を貫き、現場ごとに明確な判断基準を持って取り組まねばならないと、改めて強く感じた。
今回の件で、僕は改めて「人に任せること」の怖さと難しさも再認識した。自分の身ひとつで全てを担うには当然限界がある。
だからこそ、それを補うシステムをどう構築するかまで、しっかり考えていかなくてはならない。
今のところ、僕の分身のように動ける人材を育てていくことが最善策だと思っているが、ここにも問題がある。僕には、致命的なほど“人を見る目”がないのだ。
過去には、「この人なら大丈夫だろう」と思って任せた人が、実はずさんな仕事をしていたり、予想外のトラブルを起こしたこともある。だからこそ、本当に難しい。
そうしたことも含め、今回の一件は、単なる生徒との雑談以上の意味を持って、僕自身に多くの気づきを与えてくれたと感じている。
ということで、今日はこの辺で。