「頭を使う」とは何か、たまに考える。言葉としてこの上なく簡単なのに、その定義は非常に曖昧で、言語化が可能な領域に無い気もしているのが現実だが。
だが明確に、「この人は頭を使っている」とも思うし、「この頭を使っていない回答は好きじゃないな」と思うこともある。この差はなんなのだろう。
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ただ筆者たちは、子供のような精神年齢には違いないが、この上なく頭を使っている印象が強い。それはいったいなぜなのだろうか。
それを紐解くために、少なくとも曖昧なものを曖昧なまま、それでも確かに理解するため、今週も読み進めたいと思っている。
- 5月19日(月) 名前の流行り廃り。
- 5月20日(火) ストーリーは十人十色。
- 5月21日(水) 「こんな子になりますように」
- 5月22日(木) 僕「こんな子になるだろうな」
- 5月23日(金) ・・・・・・・・で?
- 5月24日(土) 無知の格差。
- 5月25日(日) 値引きという寸劇。
5月19日(月) 名前の流行り廃り。

名前の廃りはさておき、流行りは不思議だなと僕はよく思う。そもそも論、子供の名前が流行るとは、一体何なのか?
というのも、鉄板とされる名前以外で、もちろん漢字の違いなどは含めても、同級生の誰かと誰かが同じ名前という例を僕は知らないからだ。
母数がとても大きいときは、たとえ数が大きくても、全体の比率で言えば小数点以下なのはザラだ。
数学の確率とか統計とか、もっと深く学んでおくべきだったかなと、ふと思う。
5月20日(火) ストーリーは十人十色。

人名の流行り廃りを予言することは、やはり困難だ。こんなの誰も外さないと思えるような根拠があっても、だ。
例えばアメリカを襲った未曾有のハリケーンの一つに、【カトリーナ(カタリーナ)】というのがある。
となればそんな名前を子供につける人はゼロになるはずだ。実際、その名前の申請は「激減」したそうである。
しかし、やはりゼロではない。あんなにイメージが悪い言葉なのに、それはなぜなのか。
例えば亡くなった家族を悼む、生存を慶ぶ、そういった風に、その名を選ぶ理由は他にも意外と存在するのだ。
この辺りまで狙って読みきることなどできやしない。だからこそ筆者は、これに挑み続けたいらしい。
5月21日(水) 「こんな子になりますように」

野球でいう「球児」や、サッカーでいう「翼」など、それをすることを見越した名前を持つ人は、それなりに存在する。
別の想いがあってつけた名前が結果そうなったというのもあるだろうが、言霊みたいに機能したとも否定できない。
ちなみに僕の名前に込められたものとしては、困難事だらけのこの世を貫くように生きてほしいという願いと、画数の良さがあるという。
僕はハードルが高ければ高いほど、それをくぐるタイプの人間なのだが、結果障害を突破しているため、名前に込められた悲願は成就したのだろうか。
5月22日(木) 僕「こんな子になるだろうな」

名前に想いを馳せること。これ自体は空き時間に楽しめる考え事のネタとして、悪いネタではないと思う。
たとえば、なぜこの草花には、この昆虫には、この魚には、こういった名前が付いているのか。
命名者のセンスが光ることもあれば、ただ適当に付けただけだろと思わされるものもしばしばだ。
得てして僕は、深い思索の跡が伺えるものが好きなようだ。そんな僕の名前が、例えば「哲(さとし)」とかなら、これは出来すぎなネーミングになるということか。
時空が歪んで自分の子供ができたら、「哲」の文字は入れたいなと何となく思った。まぁ、キモい妄想なんだけど。
5月23日(金) ・・・・・・・・で?

今もそうかは知らないが、5ドル払うと匿名で、その相手に「オメーのことが嫌いなヤツがいるってよ」と伝えるサービスがあるという。
こんなのでビジネスになるということにネットリテラシーのあれこれを論じたくなるが、実はさほど儲かっては無さそうだ。
過去送られた人名ランキングみたいなのが掲示されているのだが、1位でも7通だという。(ジョージ・ブッシュ氏がそれ)
トップ5で良いなら、なんと2通で載れるそうだ。これはコスパが良いのか、悪いのか。奥は深いが、考えるに値する問いとは思わないのが本音である。
5月24日(土) 無知の格差。

日本ではあまり話に聞かないが、例えば同じ医薬品であっても、売っている店によって下手すれば100ドル近い差が付くことがあるのだという。
しかも他店比較をしようとしない、いわば惰性で契約を続けている方々はそれに気づかず、減らせるはずの100ドルを毎月消費していることもある、と。
無知によって、無駄な支出が生まれる。繰り返すが、日本ではこんな極端な例は耳にしない。だが、類似の例は大なり小なり、存在している。
例えば僕が好きなコーヒーがあるのだが、自販機で買うのと、ドラッグストアで買うのとでは、なんと80円の価格差がある。
80円高く支払うことで「その場で冷たいものが手に入る」という特典があるが、冷たいことは僕にとっては80円の価値を持たない。だから削れるなら削りたいのだ。
こういう積み重ねこそが、樽の底に空いた小さな穴のごとく、僕の財産を奪っていくのかなと、そんなことを思わさせられた。
5月25日(日) 値引きという寸劇。

値切りという文化がある。日本ではあまり馴染みがないが、海外ではそれは織り込み済みの話らしい。
筆者も車の買い換えにおいて、事前にディーラーとファックスでやり取りのうえ、大体の値引きについてはシミュレートしていたという。
しかし肝心のメモを忘れてくるという痛恨のミスで、頭の中にある数値を目指して交渉する羽目になったそうだ。
結果その値引きは達成したのだが、その額はなんと当初の想定の何段も安かったそうだ。
先入観がどこまで力を無意識にセーブしているか、そんなことがわかる逸話である。
と同時に、ディーラーはどれだけ普段から下駄を履かせているのかと、驚くところもあった。
では今日はこの辺で。