精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記231】"When to rob a bank"再読感想ブログ17 ~タネも仕掛けもあるから見よう~

「世界がどう見えているんだ?」というセリフは、言われて意外と嬉しい言葉だとされる。そんなものだろうか。僕はあまり当事者意識が抱けない。

 

なぜなら似たようなことはずっと言われてきたからだ。ただしそこには、尊敬も興味もなく、「なんでみんなと同じじゃないの?」という哀れみがあったと思う。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

みんなと同じものの見方をしている。これは別に面白いことでもなんでもない。社会から求められてはいても、僕が得られている、提供できていることは皆無だ。

 

先人の知恵はショートカットのためにあり、僕らはその上に何かを重ねたり、それを少しひねって考えたりして初めて、新しい世界が見えるのではないか?

 

教科書に書いてあることが本当かどうかを確認するなんてバカバカしい。誰も見たことがないものを、使ったことのない眼鏡で見てみたい。

 

そういった強い思いを、僕はこの本から感じる。本当にそうかはわからないけど。ということで今週もがっつりと読んでいくこととしよう。

 

 

5月26日(月) 続・値引きという寸劇。

 

値引き交渉はある種の儀式、もとい筋書きの決まった寸劇のものだという。

 

押し問答を繰り返し、上司の顔色を伺いに行かせ、恩を売り貸しを作り、あれしてこれして、やっと誓約にいたる、と。

 

筆者はギリギリを攻めてみたところ、「先方が」思ったより早く折れたため、「高く」買う羽目になったようだ。

 

阿吽の呼吸とはなるほど、とても難しい技のようだ。

 

5月27日(火) 懸賞金というコスパ最強の思索。

 

額面の魅力は、提供主の負担とはあまり比例しない。これは面白い視点だと感じている。

 

例えば日本でも全国で大々的に顔が割れている指名手配犯がいるのだが、その懸賞金はもうすぐ1000万円に届きそうだ。

 

だが、その捜査のために全国へ警官を派遣するコストを考えたら、むしろこの額は「割が良い」のではないか?

 

費用対効果は単純な話ではない。その事がよくわかる、問いのひとつだと思った。

 

5月28日(水) 道連れ。

 

企業秘密の暴露は、シンプルに相手のみへの大ダメージとなり、自分への利益になるとみて良いのだろうか?

 

例えばコーラのレシピをペプシ側が入手して、それをSNSなどで暴いたとする。これでペプシ一強になるのかどうか。

 

実をいうとコーラの価値は確かに暴落するだろうが、それはそちらの方が価格競争で圧倒的有利になるということだ。

 

コーラがあんなに安いのに、高いペプシを買う理由は無い。そして市場そのものが崩壊する……。

 

世の中は確かにシンプルとはいえ、想像以上に単純ではないのかもしれない。経済学は、だから面白い。

 

5月29日(木) 消えゆく端数。

 

日本でいう一円玉のような通貨で、アメリカには「ペニー」というものがある。大統領令で廃止になる?と聞いた覚えがある。

 

一円玉の話だが、実はそれを造るコストは二円掛かるらしく、それでいて使い勝手はとても微妙なのは、僕も認める。

 

自販機でも使えないし、財布にいれたら邪魔、だから即座に募金箱行き……

 

同じ理由で祭事以外の五円玉にも有益な価値があるかは疑問視している。小銭はもう、その役目を終えたのかもしれない。

 

5月30日(金) 端数が消えるのを阻むもの。

 

日本でいう一円玉たるペニーの擁護者は、以下のような論理でその維持を唱えている。いわく、募金に回す額が減る。いわく、ホームレスへの恵みが減る。いわく、……

 

不思議と説得力を感じたが、これはなんというか、感情論かつ問題の例外化ではないかと思っている。

 

正直、これらの理由が一円造るのに二円かかることの正当化にはならないとは思わされた。

 

そしてその裏には、政治的な活動がきちんと存在しているようだった。まぁ、知ってたというやつかな、と。

 

5月31日(土) 感情と合理と不便益。

 

昔数学者が指摘したボランティアの矛盾に、色々思うことがある。理性と感情、それぞれの観点からだ。

 

僕の小学校もそうだったが、空き缶のタブをドラム缶一つ溜めれば、車イスと交換という催しがあった。

 

気が遠くなる目標に向けて、小学生でもできる努力を結集する。なるほど、絆も深まるいい話だと思う。

 

だが同じ時間で、子どもに絵でも彫刻でも作品を作ってもらい、それをオークションにかけた方が、多分額は早く多く集まる気がする。

 

もちろん不便益の話もあるし、また合理的に全振りしすぎという反論もあるだろう。だが僕はそれでも、後者の施策の魅力は十分大きいと、そう思えて仕方ないのである。

 

6月1日(日) 最後に笑うのはつまり誰だ?



 

時たま、ヴィーガンの集会に乗り込んで、眼前で堂々とチキンを食べて挑発する人がいる。

 

僕としてはどっちもどっちという感じがするのだが、シンプルに肉も食いたいので、ヴィーガンの押し付けには鼻白むところもある。

 

ここで面白いのは、正直ヴィーガンの集会そのものより、その眼前でチキンを食べたり論破したりする動画の方がウケることだ。

 

つまりその手の活動家には喧嘩を売る方が「トク」な構図になりつつある、と。ただ活動家側も、目にされる機会は増える利点がある。

 

常々思うことだが、こういうのは対岸の火事だから面白いのだ。やはり僕は断固、巻き込まれることを拒否したい。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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