突然なんだという話だが、僕は「アホの子」と呼ばれる方々がすごく好きで、そのエピソードを集めては、空き時間につらつら読むのが、とても心安らぐ時間でもある。
具体的な名前を出すと、ソフトバンクの柳田選手、元プロ野球選手の糸井氏、そして最近亡くなられてしまった長嶋茂雄氏の伝説は、読んでいて涙が出るほど笑ってしまう。
もちろん他にも、グラドルから生徒たちまで、いくつも例はある。だが、そう思う理由が、言語化できない。シンプルに「僕にとってのツボだから」とでも言うしかない。
尚、「アホの子」がしっくりこないのなら、「天然」でもいい。自称天然は論外だが、天性のそれは、もはや代替不可能の、稀有な才能とさえ感じているくらいである。
それゆえ、時々暇な時間において、ChatGPTに「僕がアホの子と思う子たちってこうこうこういう特徴があるんすけど・・」と質問し、どうにか言葉にしようとしてきた。
そんなやり取りをこの1ヶ月続けつつ、また別の質問をしていた際、「全く別の切り口からスタートして、アホの子に辿り着く」という不思議な現象が起きてしまった。
今日はそんな、僕の謎哲学の一つの結実を、言葉にしておく所存である。
僕が心底羨ましい関係性。
僕は昔から、”羨ましいな”と思う間柄の人たちがいることに気付いていた。しかしその共通点もどこか曖昧で、また具体例として端的なものを挙げるのも困難だった。
しかし最近はいくつもそれを並べることができるようになっている。例えば幼馴染、腐れ縁、男女お笑いコンビ、等々。
抽象的に言うなら、過去及びユーモアのセンスにおける共通点が大きい人たちである。そういう人たちが仲睦まじく過ごしている場面は、見ていてすごく”羨ましい”。
逆に言えば、それらの存在は、今の僕に欠けていると解釈していいのだ。実際、今僕の周りに、幼馴染は居ない。腐れ縁もいない。当然コンビも組んでいない。
もちろん日本に存在はしているが、最寄りであっても県一つ隔てたところにいる。会えても年に2~3回、それだけの接触回数で寂しさ全てをチャラにするのは無理だろう。
僕が欲している間柄としては、これくらいなものだ。では仮に、過去及びユーモアのセンスが僕と似ている相手が、異性だったら何が起きるのだろうか?
・・・色々調べた結果、自分で勝手にそう思ってるだけなのだが、僕は「アセクシャル」という性的嗜好の条件を満たしている。
恋愛感情の意味はまるで理解できないし、最近ではそもそも食傷気味という記事さえ書くほど、相容れないものになりつつあるくらいだ。
だから僕は、”純粋に”相手のユーモアに触れたいし、”純粋に”相手の思い出にアクセスしてみたい、という思いはある。そういう意味での興味は、異性に抱くことはある。
しかし、男➡女、あるいは逆でもそうなのだが、そこへ向く関心は”勝手に”「下心」「好きってこと」という風に翻訳されがちだ。
それらに対して理屈を並べても、「またまた~」とか「素直になりなよ」と返され、挙句の果てには「ちゃんと想いを伝えないと」という有様だ。めんどくさすぎる。
僕としてはようやく「色々な内的な部分を共有できるかも」と期待できても、相手はそれを「恋心」として処理し、それに対し嫌悪や忌避を覚える可能性もある。
だからこそ、完璧にそこを割り切って、お互いに楽しそうにしている【ラランド】のYouTube等を観ていると、面白さに加え、心底羨ましい感覚さえ抱いてしまう。
そういう意味では、恋愛という構造自体が心底邪魔で仕方がない。だからこそ、男も女もなかった小4くらいの男子女子みたいな間柄に、僕は憧れるのかもしれない。
んで、「アホの子」とは?
その話と「アホの子」がどう繋がるのか。シンプルに、僕がアホの子と認めた方々は、まずそもそも「ついつい笑ってしまうほど言動が僕好みで面白い」。
対僕における打率が異様に高い人たちだ。ツボだと言い切ってもいい。(実際、僕がツボったエピソードを話しても8割スベってしまう)
そして”ツボ”を言語化することは極めて難しい話である。だからこそ、何が僕のどこに触れているのか、他ならぬ僕がもっと知りたい。純粋な興味が強く出てくるのだ。
その人はこんな面白い言動を、狙って選んでいるのだろうか?仮にそうだとしたら恐るべき職人技で、狙っていないとしたらとんでもない天才である。
やはり、興味は尽きない。その人の面白さを紐解きながら、願わくば僕もまた、その人にとって何か面白いものを提供できていたい。
お笑いコンビのYouTubeを観ていて一番清々しいのは、お互いがお互いの言動・ボケ・ツッコミでツボって、心底笑っているときだ。
・・アホの子を見ているとき、少なくとも僕はシンプルに面白がっている。あとは相手がそう思う何かを僕ができるかどうか、だ。それはボケかツッコミか、わからないけど。
―僕は我ながら、選んで孤独に身を置いていると思っている。しかし自分がツボだと思う存在を見かけるたび、その孤独から出ても良いかと思うときもある。
だが恋愛というコンテクストが全てを「肉欲」に変換するのがこの世なら、僕は「笑わしてもらう観客」の立場のままでいるのが一番良いということになる。
「アホの子」が教えてくれているのは、僕が心の奥底に抱える一番孤独な部分の正体、ということなのかもしれない。
これを知ったからには、もはや無邪気にツボれない気もするが・・まぁ、いいか。ということで実は過去最難レベルに難産の記事であったが、今日はこの辺で。