精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「退いた後の未来」をちょっと考えてみた。

昨日はがっつり、自分が校舎長を退いた後の未来について考えてみた。とはいえ、一度あるテーマについて考え始めると、大体その翌日も新しい仮説がパッと閃くものだ。

 

実際、仮に自分が”2026年2月28日をもって今の「校舎長」という役職を退いた”としたら、その後何をしたいかという問いの別の答えが、本当に今日突然、頭に浮かんだ

 

我ながら驚くべきことに、それはかなり具体的かつ、今の自分がそんなことを夢想していたとは夢にも思わないような、そんな意外なビジョンだったのだ。

 

これは冷静なのか、はたまた気のせいなのか。後々振り返れるようにするためにも、この記事を通じ、ある種の資料・記録として、ここに書き残しておこうと思う。

 

 

ふらふらしてみたい。

 

その見えてきた将来のプランをひとことで言うと、「一旦クラッチを切りたい」というものである。


とにかく、今自分が抱えているもの、例えば数値責任をはじめとした、他人のミスの尻拭いまで全てを一手に引き受けている今の責務を、一度すべて下ろしてみたいのだ。

 

簡単に言えば、久しぶりに気楽に働いてみたいというのが正直なところだ。給与が大幅に下がっても構わないので、1年くらいは”引退後のOB”みたく過ごしてみたいと思う。

 

元々は自分の校舎を創るべく独立を果たそうとか、はたまた「エリアマネージャー」的な役職をつくってもらい、他校舎のサポート役として回っていこうと考えていた。

 

ただ、もちろんそれも悪くないが、今はシンプルに「休みたい」という思いの方が強い。心穏やかな1年をじっくり過ごしてみたい。それこそ”暫定解として”の本音だ。

 

要するに、単純に疲れているということなのだろう。長期間の激しい競争とその準備を終えた方々が口にするセリフと同じことを自分が言っているのに、今気づいた。

 

もちろん、休みたければ今そうしてもいいはずだが、この状態で全てから目を逸らすのはあまりにも無責任だと、僕のメタがそれを許さないがため、今も踏ん張っている

 

しかし、一旦皮算用は承知で、その「メタ意識が満たされるだけの結果」をきちんと出したという未来を想像してみた。その果てに、自分は何がしたいのか。

 

自分の本心にそう問いかけたとき、いの一番で返ってきたのが「一旦距離を取って、つまり休みたい」というもので、何度考えても、やはり一番しっくりきている。

 

「引退」や「区切り」という言葉は、完全にぴったりではないが、方向性としてはそこに近いとは思っていた。しかしまさか、仕事中心の比重を、ただ整えたいだけとは

 

それが一番強い願いだと、あらためて気づいた今、それを無視することはもうできない。なんなら、それを基に具体的な行動を考え始めるに至ってもいる。

 

例えば、今現在の週6日シフトを、相談のうえで週5勤務+早出遅出1回ずつ(土曜日も授業がある私立高校のような形に似ている)にできないか、と考えている。

 

実際に土曜の夕方以降を空け、日曜日にかけてゆっくり過ごし、月曜を遅出にするだけで、人生のスケジュールはかなり違ってくるはずだ。仕事に支障が出るとも思わない。

 

もちろんいずれ辞めたいわけではないし、塾講師という世界を離れたいわけでもない。また、今の業種から全く別の仕事に挑戦したいとも思っていない。

 

単純に「区切り」をつけて、張り詰めた状態から1年ほど離れたい。それが今の正直な気持ちだ。

 

こうやって言葉にしてみると、やはり自分は疲れているのだと、率直に認めざるを得ない。だが、それを意識したうえで、きちんと「引退」を迎え、しっかり締めくくる。

 

そのためにも、あと8か月間は自分を追い込んで、もうひと踏ん張りしていこうと思う。今日はそのことを書き残しておけただけ、満足である。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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