精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

2025年残りの座右の銘は、【新手一生】でいきます。

今日は、今さらながらになるが、今年も残り6ヶ月を切ったということで、2025年の「座右の銘」を改めて決めたという話をしておきたい

 

本来であれば年初の書き初めか何かで掲げるべき言葉だが、その言葉とは「新手一生(しんていっしょう)」である。

kotobanoba.naniwoyomu.com

 

これは故・升田幸三さんという棋士が語った言葉とされているが、ざっくりいえば「将棋における新しい手を、一生生み続ける覚悟」を示すものだとされる。

 

ではなぜ、今更ながらこの言葉を座右の銘に据えることにしたのか。その本意を、以下つらつらと書いていく。

 

 

イデアの賞味期限は極めて短い。寄るべき大樹は無い。

升田幸三|人物|NHKアーカイブス

 

将棋の世界にはあまり詳しくないので、【決断力】や【大局観】を読んで知った知識を基に、勝手に想像していることを書いてみる。

 

現在の将棋は、仮に新たな戦法を編み出して勝利したとしても、その情報はすぐ全棋士に広まり、1日も経たずにプロの間で研究されてしまうような環境であるらしい

 

それこそ、一度生み出した「新手」の賞味期限が、極めて短い厳しい世界だと聞いている。秀逸なアイデアが陳腐なそれになるまでが凄まじい速度なのだ。

 

だからこそ、特定の戦法に固執することは、長期的に見れば衰退が決まりきった心構えであり、だからこそひたすら新しい手は、常に模索し続けなければ通用しないそうだ。

 

稀に加藤一二三さんの「棒銀戦法」のように例外的なケースもあるようだが、基本的には成功体験ほど、どうしても早く陳腐化するのが将棋の現実だという。

 

この言葉は、将棋という枠を超えて今の世の中全体にも当てはまると感じている。アイデアの賞味期限は極めて短く、寄るべき大樹は無いのだ。

 

特に、最近の広報活動などはまさにそうで、蓋を開けてみれば、手を打ってはその効果がないことを確認するだけの繰り返しになっている気がしている。

 

手を打つこと自体は悪くない。効果が無いのなら、また別の手を試せばいいだけだからだ。つまり、やるべきことは簡単で、別の手を考えて打つことなのだ。

 

しかし、「同じチラシでも、配るタイミングが変われば状況も変わるかもしれない」などと勝手に期待し、つまり変化をつけないのは、ただの怠慢にすぎない

 

このあたり、自分でも悩みながら考えていたとき、ふと「結局、自分の工夫が足りないだけだ」と気づいてしまった

 

気づけたこと自体は良いことだ。しかし、だからこそ問題はそこからだ。「じゃあ、何をするか」を己にシビアに問いかけることが大切だ

 

やるべきはこれまでとは違う方法で広報を打ったり、異なる角度での取り組みを増やすこと。それに尽きる。僕に必要なのは新手なのだ。

 

僕は普段、こうした変化や挑戦を歓迎するようなことを言ってきたが、いざ仕事という厳しい舞台に立つと、まだ徹底できていなかったというのが正直なところだ。

 

それを反省するだけではまたマンネリに陥るので、今回は気づけて良かったとポジティブにとらえ、とっとと何かしらの行動として翻訳せねばなるまい。

 

夏季講習の時期が迫っているが、そこでさっそく新しい手をどう生かしていくかを考えて、動く。

 

新手一生を取り違えて”バカの一つ覚え”にならぬよう、「今やっているこれが、思考停止状態のままの過去の踏襲でないかどうか」は、常に意識したい

 

僕に必要な要素をギュっと圧縮したような、この「新手一生」という言葉を大事に持ち続けながら、今後の行動につなげていこうと思う。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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