今日は、いつの間にか自分が信じてしまっている「クセがすごいジンクス」について、改めて整理してみたいと思う。これが我ながらすごく不思議な話なのだ。
「ジンクス」という語句の定義は、説明がなかなか難しいが、僕の理解では「その人なりの人生観において、良くないことが起こる前触れ」みたいなものだと考えている。

たとえば「黒猫が前を横切ると不幸が起きる」というような話であり、いわば迷信と言い換えてもいいように思う。
そして僕の場合、自覚のあるオリジナルのジンクスが2つある。ただの偶然やバイアスで片付けてもよさそうなものなのに、これがなかなか強固で困るときもある。
今日は、その話をしてみよう。
雨≒不幸のサイン。

まず1つ目は「雨が降ることは凶兆のサイン」というものだ。たしか以前どこかで記事にした記憶もあるのだが、これは自分の実体験に由来している。
高校2年生の6月頃、本当に学校に行くこと自体がとてつもなく嫌な時期があった。正確に言えば学校そのものではなく、クラスが本当に嫌だった。
入試のある公立高校には信じられないことに、ギャルグループによる学級崩壊が起きていて、授業はロクに進まず、「このまま学校を辞めようか」と思うくらい悩んでいた。
そしてその時期がちょうど梅雨だったせいで、「雨が降ると嫌なことが起きる」という感覚が刷り込まれてしまったのだ。毎日嫌なことがあり、天気はいつも雨だったのだ。
もちろん、それに何の因果も無いことなど、頭では分かっている。実際には単に、「嫌なことが起きていた時期がたまたま梅雨だった」というだけなのだ。
だがそれ以来どうしても「雨=悪いことの予兆」という印象が抜けない。些細な不幸であっても「ほらね」という風に、強固な証拠の一つとして扱う意識が消えないのだ。
実際、天気予報で傘マークが並んでいると、それだけで嫌な気分になるし、「今日も何か悪いことが起こるに違いない」と構えてしまう。
晴れの日に特別良いことが起きるという感覚はないのだが、雨の日に限っては悪いことが起こる確率が自分の中では7割くらいあるように感じている。
これは何かしらのバイアスだとは思うのだが、それに本腰入れて調査を行おうと思うほど興味があるわけでもないのが、つまり本音である。
運はゼロサムゲーム。

2つ目のジンクスは「うまくいった時は必ず反動が来る」というものだ。とはいえこれは誰しも多少はある考え方だと思うが、僕の場合は少し極端だ。
実際、僕にとって「良いことが起きた」瞬間に、反射的に「これしきで喜んじゃいけない」「すぐに反動が来る」と考えてしまう。勝った瞬間、兜の緒が自動で締まるのだ。
たとえば今現在はダイエットを始めて40日を過ぎたところなのだが、この末期になって突然、一昨日に600g、昨日も400gと、2日で1kgも体重が減った。
普通なら喜ぶべきことなのかもしれないが、どうしても「これは何かおかしい」「どうせ明日には500gくらい戻っているだろう」と思ってしまう。全く喜べないのだ。
業績でもそうだ。目標売上にリーチしている状況でも「別にそんな大した数字じゃない」と心のどこかで冷めている。
仮に達成しても、大体は「そうか、達成したか」くらいの反応しか出てこない。「素晴らしいですね!」などと褒められても調子が狂うし、気持ちが無駄にブレてしまう。
もちろんそういった結果自体をわざわざ徹底的に否定しようとはしないのだが、心のどこかで「達成すること自体にあまり興味はない」と思ってしまっているのだと感じる。
終わりに:これらのジンクスという木は、何から生えている?

たぶん根っこにあるのは、「ぬか喜びしたくない」という心理だろう。僕はいわゆる皮算用や期待という言葉を、本能の部分で嫌っている。
世の中は自分の思い通りにならないものであり、「どうせ思い通りにはいかない」と納得している方が、かえって精神的に安定する。
関係あるかどうか不明だが、ここで一つ、我ながら不思議なあることを思い出した。僕は、「今、幸せか?」と問われても、いつも答えに窮してしまうのだ。
「そう言われればそうだし、そうじゃないと言われればそうだ」と思うだけだ。要はただの思い込みに過ぎないのだから、それを聞いても仕方なくね?と感じてしまう。
例えば、「仕事もあり、メシも食えているから、幸せなんだろう」とは思う。だが、それを「他人と比べてどうか」と言われれば、「僕より幸せな人は世界中にいる」とも思う。
「楽しい」「面白い」は答えられるが、「幸せ」はあまり感じないし、価値を置いていないのかもしれない。
こうした価値観のクセが、謎のジンクスとも絡んでいるのかもしれないな……と思っている。
ということで、今日はこの辺で。