僕自身、実際のところボードゲーム系にはほとんど縁も興味もセンスもない。例えば麻雀も将棋も、後者ならまだしも、前者はルール含めてまったく理解できない。
だが、そういった競技のプロたちが語る言葉には、非常に惹かれるものがある。羽生善治氏の著書やインタビューは、読んでいてとても、論理的で深いのだ。
そういう言葉選びができるのも、ロジカルに考えるという麻雀や将棋の性質もあるだろうが、彼らの語る内容は非常に論理的で無駄道がなく、読んでいて納得感が強い。
パッと見取っつきにくい印象を持たれるかもしれないが、それはただの思い込みで、逆にすらすら読めるほどである。そういった点でも、僕は彼らの言葉が好きだ。
さらに同時に感じるのは、勝負の中で培われた「忍耐力」や「心構え」といったものが、単なるゲームを超えた深さと普遍性を持っているということだ。
それらを知識として知っておくだけでも、自分の判断や考え方に大きな影響を与えると、最近特に実感している。
今日は、それを改めて痛感するような、少し浮き足立つ出来事があったので、自戒を込めてこのテーマを言葉に残しておきたいと思う。
「自分のタイミングで勝負はしない」
特に印象に残っているのが、もう10年ほど前に出版された『運を支配する』という本にある、「自分のタイミングで勝負しない」という一節だ。
これは要するに、今の状況から早く抜け出したい、あるいは早く勝利を確定させたいといった不安や焦りから勝負に出てしまうと、大体は失敗する、という教訓だ。
例えば「早く負けを取り返したい」といった焦燥があると、心が浮つき、本来なら仕掛けるべくもない一発逆転の手を狙いたくなる、という心理は想像に難くない。
逆に、流れが来ているにもかかわらず、「早く勝ち逃げしたい」という過度な慎重さが発動し、早々に勝負を降りてしまうこともある。
結果として、目も当てられないような大敗になってしまったり、また本来得られるはずだった勝ちを取り逃すことにつながってしまう、というわけだ。
これを読んだときは「そういうものか」と思う程度だったが、今は実体験として、「この学びは本当に、ビジネスにおいて都度試される」と感じ続けている。
例えば、昨日「7月末でやめようと思います」と言い出した生徒がいた。この子が通っている学校は少し特殊なので、必死で止める理由がこちらに無い。
と同時に、幼児向けのコンテンツ在籍の子に、態度も不真面目で、やる気もない、いわゆる”合わない子”を遠回しに退塾へ回そうという意思を固めたところでもあったのだ。
つまり、確定で人数が2名以上減るという未来が見えたわけだ。生々しい話だが、それは即ち、塾の売り上げが確定で減るということにもなる。
そうなると、僕の中で「この瞬間からでもポスティングを始めようかな」「とにかく手を打たなければ」という焦りが沸き上がってきた。
だがこれは、冷静に考えれば「ただ不安を打ち消したい」という感情による、理性のかけらもない行動でしかない。この苦しみから逃げたいだけでしかないのだ。
「今は絶対に、そんなヤケクソな勝負をすべきタイミングではない」。この言葉を思い出すと、自分にブレーキをかけることができた。
というのも、これは同業者ならわかる話だが、6月末というのはまだ期末テストが終わっていない学校が多く、今ここで広報を打っても正直滑りやすいのだ。
学校の三者面談もこれから本格化するタイミングであり、そうした場で初めて塾の存在が意識されるケースが多い。つまり今打った弾は全て死ぬとみていい。
それに来週には、周辺地域にチラシを折り込み配布する予定も控えている。そう考えると、今やるべきことは「がむしゃらに動くこと」では、絶対に、ない。
7月頭に向けて、しっかりと意味のある広報を行うための「材料集め」と、期末テストの結果を踏まえた内生(在籍生)のフォロー、つまり地盤固めこそ欠かせない。
現時点で僕がすべきことは、この「材料集め」と「地盤固め」の二つだけ。勝負を仕掛けるのは、それらが整ってからであり、今ではない。
・・・我ながらここまで冷静に考えられたのは、間違いなく冒頭に紹介した勝負師の言葉を知っていたからだ。
「これはまさにあの状況じゃないか?」と、自分に問うことができたからこそ、焦りに飲まれずに踏みとどまれた、という次第。
ということで、今しばらくは「事態を静観」するというより、「すべきことを積み上げながら、機が熟すのを待つ」ことに徹したい。
「自分のタイミングで勝負しない」という教訓を、もう一度しっかりと心に刻んでおこうと思う。
てことで今日はこの辺で。