精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

僕は「お金」をどう思っているか。

僕が修羅場にいるという話は、すでに一昨日あたりに書いた通りだが、それによって身を炙られている今だからこそ、自分ではっきりさせておきたいことが一つある。

 

それは、「お金」に関する考え方についてだ。これに関することを自分でしっかり定めておかないと、この先どれだけ仕事に賭けても、中途半端に終わる気がしている。

 

そういえば今まで僕は、こういうお金という経済状況について、自分の本音をあまり分析・観察したことがない。経済学部を出ているのに、だ。

 

だからこそ、ここいらで一度しっかりと内省・自問自答した結果を、一つの結晶としてここに書き出しておこうと思う。

 

 

自分でも意外だった、僕の中に詰まっていたマグマ。

 

はっきり言えば、「お金は稼げた方がいいに決まっている」と僕は思っている。だからこそ、金稼ぎという行為、それをできる人、そのいずれも卑しいと思ったことはない

 

法的にグレーでない限り、たくさんのお金を稼げている人に嫉妬の目を向ける方が、心が貧しいし、何一つ得られるものはないとさえ思っている。

 

やはり、お金があるに越したことはない。もちろん「金が全て」とまでは言わないが、この社会で暮らす以上、給料も家賃も、お金がなければ何も払えない

 

対価としてのお金が差し出せなくなったとき、夢も生活も、全ては強制的に止められる。だからお金の重要性を否定するつもりはさらさらない。

 

この社会は、あらゆるものが交換によって成立している。その媒介としてお金が必要なのは、言うまでもない。僕もまた巨大なネットワークの点の一つなのだ。

 

電気・水・火・住居を全て自前で、あらゆる人たちから独立した状態で賄えるなら話は別だが、僕を含めたほとんどの人はそうではないだろう。

 

だからこそ、「お金がなくてもいい」などという言葉を僕は口が裂けても言いたくない。むしろ、その発想自体が嘘をついているようで、気持ち悪いとさえ思っている。

 

実際、いい暮らしをしてみたいかと聞かれたら、はっきりと「してみたい」と思っている。一生とは言わないが、人生で一度くらいはマンションに住んでみたいとも思う。

 

それこそ、自分にとって「あれもしたい」「これもしたい」と思う生活を叶えるには、今の倍以上稼いでも足りないくらいだ。その内容はどこか幼稚なのに、だ。

 

たとえば、もっと良い飼育設備を整えて魚を飼いたいし、より良い釣り竿を買い、キャンプグッズも整えて、もっと休みを取り、もっと遊びにも出かけたい。

 

そのためには、時間を費やすか、僕自身の単価を上げていくかして、価値を高める必要がある。そうしなければ、貢献の対価たるお金の量は、増えるわけがないだろう。

 

その構造を考えても、金に関する問題から目をそらしていては、精神的にも肉体的にも、貧しくなっていくに決まっている。

 

必死で、命を削って懸命に働いた結果が、それこそ現状のような経済状態のままで、結局「トントン」でしかないのなら、僕はその場を去る選択をすると思う。

 

人生をかけて仕事にベットし、社会に対して貢献を果たしているのであれば、リスクと負担に見合ったお金と暮らしを手に入れさせてくれ、と思うのは当然だろう。

 

その思いは、実際僕の大きなモチベーションになっている。やりきって、お客さんをしっかり獲得して、アフターフォローもやりきる。

 

その結果として、安心・安全・庇護というメリットを手放す代わりに、自分の努力がすべて良くも悪くも反映されるようになるなら、僕は全力でやれる。

 

もちろん、業績次第で給料を貰えないときがあるかもしれないし、保険や補助を受けられない可能性もある。

 

でも、それらを補って余りある魅力が、当てたときには確かにある。人生を賭けて勝負する感じ、なぜだか身震いする感じがある。

 

・・・誤解のないように言っておくと、極端な富豪アピール、それこそ虎の毛皮を敷いた絨毯といった成金趣味の生活には1ミリも興味がない。

 

しかし、今の生活水準で、こんなに働いて収支トントンでいる状態を「良し」とは絶対に思えない。僕は正直、清貧なんてくそくらえと思っている

 

あるに越したことはない。それが、お金に対する僕の率直な気持ちである。だからこそ、自分の気持ちに嘘をつかないためにも、こうして文章にしておこうと思う。

 

ということで、今日はこの辺で。

 

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