最近、「追い込むとはどういうことか」という構造そのものを、強く意識するようになっている。ただ我武者羅に頑張ることは、追い込みとは違うと気づきつつあるからだ。
たとえば高校・大学の受験生にとって、夏というのは極めて重要な時期であり、「毎日10時間以上勉強し、1か月で300時間を超えよう」といった指針がよく語られる。

それは実際に成績を大きく伸ばすための有効な手段であることは間違いない。しかし、これを実行できる人間は極めて少ないと僕は思っている。
厳密にいえば、10時間机に向かうだけなら、割と簡単に可能であるが、その時間すべてを密度の高い学習で埋め尽くすというのは、相当な力量が必要だ。
これは単なる体力や集中力の話ではなく、そもそも10時間分もやるべきことが毎日発生するという状況が希少だからである。
つまり、日々10時間のノルマを組み立て、明確にして実行するという行為は、もはや職人芸の域にある。
僕自身、何度も書いているように仕事が修羅場ともいえる状況なのだが、毎日10時間以上の労働時間を確保しつつも、その時間全てを有意義に使い切れているかは眉唾だ。
だからこの記事を通じて一度、ガッツリとその辺を分析しておこうという話。以下つらつらと続けていく。
頑張るだけではたどり着けない世界。

たとえば、全く同じことを10時間やり続けるのはまず不可能だ。作業自体ならできるかもしれないが、まず間違いなく集中力や質がどんどん下がっていくことだろう。
別の方針として、30分の作業を20本用意するという手もある。だがそもそも、20個もアイデアが浮かぶかどうかはかなり眉唾だ。
しかも、アイデア乱発型の弱点はもう1つあり、それはかなりの割合で「どうでもいいこと」も混ざってくるというものだ。
たとえば、自分の授業を録画してYouTubeにアップするというアイデアが出たとしても、それが本当に効果的かは微妙だ。むしろブランドに傷をつけるのではなかろうか。
こんな風に、「頑張りぬく」というのは言葉にするのは簡単だが、実行するにはあまりにも難易度が高いという事情があるからこそ、本当に頑張れた人を僕は尊敬する。
もっといえば、毎日10時間以上学習を継続させるためにブレーンとして支えたコーチ的な人がいるのなら、僕はもしかしたら、その生徒以上に称賛するかもしれない。
僕自身も今、「10時間を成果につながる施策で埋める」ため、リミッターを壊し、本気で頭を使っているのだが、それでもまだうまくいったと思える方が少ないくらいだ。
だからここ最近は、その施策が間接的であっても、自己投資の一環としてOKと認めることに変えてみた。これには少しシビアな内省が要るが、結構機能していると感じる。
例えば、読書の時間を1日30分確保しているが、それも立派な施策の一つとして扱っている。また、30分程度のポスティングであっても、戦略的な行動に変わりはない。
とにかく、動いていればいい。やっていればいい。誰よりも極端であればいい。見城徹氏の言葉にもあったが、「極端であること」は心をしっかり支えてくれるのだ。
実際、今日も炎天下のなかで2〜3時間歩き続けていた。熱中症のリスクもあるが、それでも何らかの反応が得られるなら、それはやり続ける価値があると感じている。
そもそも今のところ、ポスティングだけで先週・今週とあわせて10時間以上費やしている。他にここまで必死な人間がいるか?とすら思う。
極端な話、自分が動けば人件費はかからない。究極の経費削減策だと考えている。(これは経営者として最悪の考え方らしいが、今はそれを振り返る余裕はない)
・・・少し話がそれたが、やはり「追い込む」ことは、科学的なアプローチを積み重ねた結果成されるのだなと、日々そんなことばかり感じている。
では今日はこの辺で。