精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

人生ごと「ゾーン」に至るには?

ここ最近毎日、自分を鼓舞するため、そして具体的な施策のアイデアを得るため、起業した経験のある方のブログや著書を折に触れて読み返し続けている。

 

その人の文才もあるだろうが、元となった出来事自体があまりにも過酷過ぎて、読んでいるだけで寒気がすると同時に、何かがメラメラと燃える感覚も抱いている。

 

と同時に、冷静な視点を意識して、会社の規模・業態・業種・年齢のすべてを超越した共通項が無いか考えつつ読書を重ねているのだが、一つはっきりと見えるものがある。

 

それは言葉こそバラバラだが、やはり各人が「人生丸ごとゾーンに入っているような状態に至っている」というものだ。以前も記事にしたが、これは確信に変わりつつある。

 

そしてそこを取っ掛かりとしてさらに色々考えた結果、また新たな仮説というか、僕なりの覚悟が言語化できそうな手応えを感じ、少し心が躍っている。

 

今日はそれについて以下、思考が続く限り文章に書き起こしていく。

 

 

深く、狭く、熱い世界。

 

いわゆる「人生ごとゾーンに至った」状態とはどんなものか。思うに、以下のような特徴があるように、僕は感じている。

 

① 目指すべき目標に繋がること以外の重要度が非常に下がる

② 逡巡をしなくなる

③ 体力・精神力のリミッターが壊れる

④ 目標を阻害する要因に対して、非常に厳しくなる

 

具体的に言うなら、仕事に対して体力も時間も完全に注ぎ込み、目指すべき目標数値に対して取り組みが甘い人間を叱責し、弱気な自分も認めない、というところか。

 

これが常時発動している状態を、熱狂と言ったり、窮地と言ったり、背水の陣と言ったりしているのだと僕はとらえている。

 

ゾーンと呼ばれる極限の集中状態があるが、それが毎日一定時間発動するようなコンディションであるともいえる。のほほんとした日々から到達することは、無理な話だ。

 

文字通り「寝ているとき以外はすべて仕事をしている」と書いている方もいた。そしてこれ自体は、誇張でもなんでもないのだと思う。

 

それを「盛ってる」と思ってしまうのは、単にそこまでの状態に至ったことがある人などほぼいないからではなかろうか。体験が無いものに共感するのは困難である。

 

そしてその状態は「楽しいからやっている」といった感情的理由さえ超越し、「自分でもなぜだかわからないが、人から異常といわれるほどのめり込んでいる」ともいえる。

 

一体どうすれば、そんな状態になるのか。環境、メンタル、体力、どれもが完璧に噛み合い、相互に作用しあっている状態‥。もはや夢のような世界である。

 

しかし、その世界に至る道の端緒は、実をいうと見えている。まずそこに至るまで、その全員が少なくとも数か月単位の時間を要しているという点だ。

 

つまり、一定の時間を掛けて、ゆっくりと至るという構造が見えるのだ。しかしそれは、高い水圧のかかる深い海に潜るようなもので、いきなりたどり着くことは無理だ。

 

羽生善治氏も著書で書いていたこととリンクするが、「高い集中力を発揮することとは、長い時間をかけてゆっくりスキンダイビングをするようなもの」なのだろう。

 

―ここで、一気に見えた。スキンダイビングの比喩というのは、人生ごとゾーンに至るという意味で、マジでピッタリではないか?今、素直に興奮している。

 

実際、前人未踏レベルの水深にたどり着こうと思ったら、そもそもかなりの負荷を伴うトレーニングを何度も重ねて、心を整えて、少しずつ自分の限界を広げる必要がある。

 

限界を押し広げるために必要なのは、それまでの自分の限界値を超えたという実感であり、その実感を得るためには、当事者比で生半可な負荷では足りないのだ

 

昨日の自分を超えるには、昨日の自分がした以上の努力を今日上回る必要がある。それを繰り返していくと、キャパが広がるというより、人としての深みが増していく

 

世界がどんどん狭くなり、同時にどんどん、深くなる。目的や目標に据えた何かだけが静かに、遠くに見え、雑念といったノイズが次第に遠ざかり、消えていく。

 

そのうち、自分が努力をしている、高い負荷に晒されているという自覚さえ消えていく。限界に達し、超えることが、もはや日課のようになり、自動的に繰り返される。

 

ここまで考えてハッとしたが、今の僕も、正直環境が変わったせいでもあるのだが、しばらく「自分の限界を超えるほどの負荷を毎日更新しながら受け止め続けた」のだ。

 

それは仕事に関係あることもそうだが、例えばその状況下で筋トレをさらに追加したり、娯楽を封印したりということを偶然ながら重ねたことで、確かに何かが変わった。

 

今まで入りきらなかったスイッチ、覚えきれなかった危機感をはっきりと抱き、と同時に焦燥感は薄れ、ただひたすらに”目的だけ”が見えている状態に変化している感じだ。

 

そしてその状態に近づくにつれ、それはどんどん静かになり、集中力は増し、萎縮や忖度といった感情・思考も湧かなくなり、堂々と交渉・提案ができるようにもなった。

 

こうなるともはや、その状態に在ること自体が報酬になる。現に今も僕は、休みを取ったり自分に高級料理のようなご褒美をあげたりすると、それが崩れる気がしている。

 

そういった自分の労いさえ、自分の高い集中状態を解除しうるノイズになっている。僕もある意味、人生丸ごとゾーン状態に入りかけているのだろうか。

 

となれば目玉が飛び出るような結果が出てきてほしいものだが、そうではない手前、まだまだ狂気の世界は深みにあり、僕はその表層にいるに過ぎないのだろう。

 

望むところだ。まだまだ深みがあるなら、僕は意地でもそこにたどり着きたい。大学受験や英検1級でさえ味わえなかった極致が、もうすぐそこに見えている。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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