「人間は、助からないと思っても助かっている。」最近、大山康晴氏のこの言葉をよく思い出す。これは楽観的な、飄々としたコメントではなく、勝負師としての感覚だろう。
どうにもならない状況においては、そう思っていること自体が視野狭窄なのではないか。そう思うと、冷静にもなるし、まだ打てる手も見えてくるように思う。
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もちろん、他の解釈も可能だ。最後の最後まで勝負を諦めてはいけないという熱いメッセージとしても取れるし、「まだ死んでないでしょ?」という冷静な指摘にも取れる。
正直最近は、苦しいとかキツイといったことさえ、僕は感じなくなってきている。意外とやることはあるし、やることやってたら沈没はしないのだ。
この本はそういう、一つの観点・思考・決断にしがみつくことのリスクをしっかり説いてくれているようにも思う。では以下、本題に入っていこう。
- 7月14日(月) ドーピング遡及効。
- 7月15日(火) 天網恢恢疎にして漏らさず。
- 7月16日(水) 見える世界が”違う”。
- 7月17日(木) What is "believing"?
- 7月18日(金) 無知とインチキのせめぎ合い。
- 7月19日(土) 魔が差すとき。
- 7月20日(日) 人を変えるのは安心感かもしれない。
7月14日(月) ドーピング遡及効。

ある意味でドーピングを防ぐ最大の方法は、そのリスクを極限まで高めることにある、という。競技者の尿なり血液なりを10年・20年保管しておくのがそれだ。
その当時では検出できない違法薬物であっても、技術が進めば可能になることもある。そしてその結果違法薬物が検出されれば、過去全ての実績が無効になると‥。
尚、それでは競技者側に圧倒的不利な条件を強いるため、保存期間中は一定の金銭を支払うなど、そういう設計も一緒に必要らしい。
そこまでして・・と、僕は思った。実をいうと、見ている側としては、アスリートがどういうことをしてようが、あまり興味がないということかもしれない。
7月15日(火) 天網恢恢疎にして漏らさず。

そのゲームでインチキが行われているかどうかは、統計学的手法で見抜くことが可能らしい。
完全にランダムならば出てくるはずの傾向が、ある特定の条件や組み合わせの下では崩れてしまうのだ。
不正がいずれ告発されてしまうのは、両親の呵責によって誰かがチクったから、というのももちろん多い。
ただシンプルに、なんらかの手法で見抜かれているだけというだけの話なのかもしれない。
7月16日(水) 見える世界が”違う”。
本当にしているなら論外だが、ズルしていると思われることはある意味勲章である。それくらい図太くていいだろう。
あいつがあんなにできるのは、何かしらの運が絡んだからだとか、チートをしたからだとか、努力のパワーと遅効性を知らない人はとやかく言うだろう。
見城徹氏も著書で書いていたが、「それでいい」のだそうだ。そう語る人は努力をしない。ゆえに放置していれば差はどんどんつけられるからだ。
勝者の構え方のデカさがよくわかる話だと、僕は感じた。
7月17日(木) What is "believing"?

信じるとは何か。これについて最近、よく思い巡らせる。なぜなら、裏切られたなと思うことがちょこちょこあったからだ。
とはいえ人間関係の前提に猜疑を置くと、充実した関係の構築はまず不可能だ。だがむやみやたらに信じるのも、それはそれでリスクである。
だから僕は最近、猜疑も期待も抱かないというところをちょうどいい落としどころだと考えている。
実態を乖離している限り、判断には用いない。感情論ではないかどうか、常にシビアに己に問う。ここまでしてようやく、心穏やかに過ごせるのかなと思えつつある。
7月18日(金) 無知とインチキのせめぎ合い。

とある人がルールを守らなかったとして、それは無知だからこそ守られなかったのか、そもそもインチキをして破ったのかで、話は変わる。
前者なら教育や説明、制度の単純化が必要で、後者であれば取り締まり体制の強化が必要になるだろう。ここで思いつくのが、【税】を巡るあれこれだ。
僕はあまり詳しくないのだが、税金の仕組み程、無知であればあるほど不必要に持っていかれ、調べれば調べるほど色々守れるものは無いように思っている。
得てして無学ゆえに持ってかれる側が口にするのは、「ズルしやがって!」というセリフだ。ここまで綺麗な敗北宣言を、僕はあまり知らない。
7月19日(土) 魔が差すとき。

完全にランダムである状況においては、パターンが見えること自体がインチキの兆候だと言えるそうだ。
ある学校では、先生のインセンティブにテストの点数向上(とそれによる給料アップ)を設けたところ、それは果たされたが、ある疑惑も伴った。
そのテストはマークシートであり、成績上位の子達を除けばランダムなパターンになるはずが、そうではない部分があったのだ。
誤答まで含めてきれいに一致した文字列がハッキリと浮き彫りになったとき、筆者はインチキを確信したそうだ。
欲は人を狂わせる。マジでそうなんだなと、僕も感じた。
7月20日(日) 人を変えるのは安心感かもしれない。

車の運転中は人が変わるタイプがいる。荒い運転をなじり、割り込みも堂々と行う、という風に。
僕も時たま、我ながら小悪党みたいなムーブをかます自分に気付くことがあり、そのときは我ながら辟易してしまう。
車とはある意味、完璧に閉ざされたプライベートルームであり、いざとなれば逃亡も可能な装置である。
つまり、僕らの置かれている状況とは、虎の威を借る狐と全く同じと言ってもいい。そう思うと、色々萎える自分を僕は感じてしまっている。
では今日はこの辺で。