「顧客の心理を徹底的に考え抜け」という話を、最近改めて何度も聞くようになった。結果、これは避けて通れない永遠のテーマなんだと、強い納得感を持ちつつある。
ただ、今僕は、この教えを別の側面から考えることに取り組んでいる。それは、「人から見たとき、僕の持つどの部分が売り物になっているのかを知る」というものだ。
例えば、僕が思う僕の箔は英検1級保持なのだが、これが「入塾します!」という決め手になったことは1回もない。つまり別に、売り物になっていないのだ。
また、別の記事で書いた話でもあるが、成績を上げれば生徒・保護者から口コミが起こると思っていた僕だが、実際一番広まっていたのはそこではなかった。
各テスト後に、各々が立てた目標の達成率に応じてグレードが変わる労いイベントをやっているのだが、それが一番ウケがいい。生徒も、保護者もだ。
こないだも有名なお菓子のチェーン店に出社前に行って、ケーキとかその辺を買って振舞ったのだが、まさかこれが一番口コミを生んでくれるとは予想外にも程があった。
そもそも僕の何が他人を動かすかというインセンティブは、自分一人で考えても、主観バイアスなどが邪魔をしてうまく観察することができないものだ。
だから何かうまいフレームワークは無いかと考えているのだが、現状これという決め手には至れていない。だが、考えの深さが不十分なだけかもしれない。
今日は以下そんなことをただだらだら考えたメモとでもいうべき、そんな話を書いてみる。
僕の「人(ニン)」の部分は何なのか。
ぐんぴぃ氏の著書を読んでいると、「人(ニン)」に惹かれる、みたいな言葉が出てくる。これは”何をしているか”というより、”誰がしているか”に関する部分のことではないか。
正直言うと、学習塾で提供しているサービスそのものが、余所では受けられないような専門性高いものであることは、ほとんどない。どこでやっても大体同じなのだ。
そこで選ばれる人は、単なる能力の高さに加え、人望や人徳があるものだ。講師にとって、教えるのが上手いのは当たり前であり、価値はそれとは別に生まねばならない。
僕にとってのそれは何なのか。自分では英語への高い専門性とかだと思っていたのだが、生徒や保護者からのコメントを聞く限り、”そうではない”らしい。
自分で書くのも恥ずかしいが、生徒の様子を見る眼力の高さとか、マメに連絡をすることとか、そういうコツコツした部分の信頼度を買ってくれているそうなのだ。
正直、このくらいのサービスや意識の持ちようなど、僕は当たり前だと思っていた。これは全員が装備しているものであり、強みになるほどのインパクトはない、と。
―試しに、これを僕が他人を見るという状況に置き換えてみたらどうだろうか。僕のことを深く観察・理解してくれて、連絡もマメな人を考える。
-そして思う。なんと安心できる人だろう、と。もしかしてこの安心感こそが、実は”本当の意味で”僕が他人に与えられる魅力なのだろうか?
もしそうだとすれば、例えば「めっちゃ本読んでます」「めっちゃ実績出してます」という部分のアピールは、僕の魅力として大して意味がないのではないかと思えてきた。
それよりももっと、生徒や保護者から褒めてもらえる部分を客観的に分析し、それを集中的に発信して属人化を果たすことが、ある種の突破口なのかもしれない。
僕の魅力は何なのか。自分の頭で考えることを止めて、他人から見た僕を冷静に見つめることで、その端緒が見えたように思う。ただ、これの精度は不明なのだが。
ということで今日はこの辺で。