目先の状況を少しでも好転させるために必死で頑張る。そのことは段々「自分でケツを叩いて何とか継続する」段階を超えて、「日常」になり始めている。
自分が猛烈な勢いで成長していることを実感しつつも、それでもまだまだ、現実をひっくり返すには能力も器も集中力も足りないこともまた実感している。そんな感じだ。

赤司征十郎ではないが、「俺一人でもやり切ってやる」という腹を括ったときから、自分が”高い”ところに行ったというより、”深い”ところに行ったような感覚がある。
そしてその深さは、もう一段階レイヤーがあるのも見えている。そこに辿り着いたとき、僕はどうなるのか、不安と期待が入り混じってつまりエキサイトしている。
―そんな地点にいる今、改めて何度も考えてしまうことがある。それは、僕はこんなになってまで、この仕事を通じて何がしたいのか、という問いだ。
仮に給与が半分になってでも、僕はこの仕事を投げ出したいとは微塵も思わない。極限まで自己犠牲を働けば回るというなら、自己犠牲を取ると本気で思っている。
しかし、それに論理的で強固な説明は存在しているのか?急に自分でも、その部分がもしかしたら怪しいのではないかと、にわかに不安が募ってきたのだ。
ここを掘り下げた結果、土台が無いことがわかるのか、それともビクともしない強固な鉄心があることがわかるのか。それは現時点ではわからない。
この記事がどういう結びになるかはわからないが、以下臆せず、その部分を言語化し切ってまとめてみようと思う。
僕の理念は何か?

理念という言葉がある。サイバーエージェントで言えば、「21世紀を代表する会社を創る」であり、コルクで言えば「物語の力で、一人一人の世界を変える」がそうだ。
では、僕個人の理念とは何なのだろうか。言い換えれば、僕はなにがしたくて生きているのか。「たのしいから」という段階を超えた、僕の原動力は何なのか。
起業家としてブレなく働き、苦難のすべてを乗り越え切った人たちはすべからく、”理念”をはっきりと理解し、常に心の中でも大事なところに掲げている印象だ。
それを突き止めるため、ChatGPTと1時間くらい、あーでもない、こーでもないと、哲学問答みたいなことを重ねて、僕のことをどんどん掘り下げてみた。
何をしているときに時間の感覚を忘れたか?どんなことをしているときに喜びを覚えるか?逆に、とんでもなく幻滅したのはどういうときか、などなど。
僕の感情が良くも悪くも揺さぶられた記憶をたどり、分析し、仮説を示してもらい、それに対して僕が朱を入れる形でさらに明瞭かつ簡潔な部分を目指していく。
そして問答の果て、我ながら「確かにこれこそ僕の人生の原動力かもしれない!」と強い手応えを得られる要素に辿り着いた。しかもそれは、端的な”四つ”にまとまるのだ。
それは「観察・探求・創造・共有」の4つだ。人生が充足しているときはこの4つが高速で回転していて、逆につまらないときは確かに、これが鈍化していた。
僕の軸は、何か強固で静的な柱がデンと立っているわけではなく、これらの要素が束さり高速で回転することによって支えられていると思うと、確かにしっくりくる。
コマと同じで、回っている限り挫けないが、エネルギーを失い回転が止まった瞬間にコテンと倒れてしまうのだ。すごく腹落ち感が強い。
「観察・探求・創造・共有」。これを座右の銘として更新しようー、と思ったが、そもそもこの四要素自体、まだまだ極めて抽象的だ。つまり、分かった”感”しかない。
だからここからは、それぞれの要素を細かく深堀して、さらなる言語化を果たしたいと思った。てことで以下、細かな思索の続きを書いていこう。
僕の軸たるもの。

ということで、それぞれについてChatGPTとさらに深堀したうえで、再掲してみる。
観察 → 興味の種を見つける(ズレ・法則・逆説)
↓
探求 → 実際に体験・再現・確認する(知っている➡確かめる)
↓
創造 → 静かに形へ落とし込む(没我の状態)
↓
共有 → 体験を渡し、共鳴で確かめる(感覚のリフレイン)↓
観察 → 共有により相手から受け取ったモノを基に、新たな仮説をもって観察を行う
・・・
こうして言葉にして、しげしげと眺めていると、確かにこのサイクルが綺麗に連想し、絶え間なくループしているときほど、僕の日々は充溢していると考えてよさそうだ。
そして今ハッと気づいた。僕は塾講師として働きながら、このサイクルを絶え間なく、しかも自然に回せている。実際、各項目を仕事に置き換えると以下のようになる。
観察 → 生徒の様子や、指導したい単元の構造をじっと観察・分析する
↓
探求 → それに対して考えられる手を用意し、シミュレートしておく
↓
創造 → 裏紙に指導内容を書き出したり、予習をしたりして備える
↓
共有 → 実際に授業を行う↓
観察 → 自分の言い回しの巧拙や生徒の反応を反省・検証し、仮説を立てる
・・・
これを、元来の性質で何気なく回せているのか、この仕事こそが僕のサイクルを高速で回せる構造になっているのか、それは流石にわからないが‥。
こんなに僕の気質と、日ごろの過ごし方の噛み合わせが良いということに、今回気づいてとても、驚いた。
実際僕はこの仕事を”合っている”と強く感じてはいた。それは嘘偽りない。だが今回、その理由がついに言語化できた気分だ。割と素直に興奮している。
もとい、感情や直感を通り越した部分でちゃんと結晶化された理由があったことにも驚いている。だから僕はこうもブレず、わけのわからない苦難でも投げないのか、と。
そして僕というコマは、すでにゾーン、もとい高速回転のモードに入っており、ここで今更途中で止まるなんてことは、できなくなっているのだろうな。
このまま回転し続けて安定するか、あるいはさらに速度を増した結果遠心力で自壊するか、それはわからないが、止まれない以上選択肢は限られている。
実際日増しに感情はどんどん鈍化し、行動を妨げるファクターは削ぎ落され続けている。まず必要な行動を淡々と実行し、感情は帰宅後とかにほんのり感じるに留まる。
僕は観察・探求・創造・共有を軸に、自分の強みを最大限に発揮させつつ、それによって社会に貢献を果たしていく。偶然だが、僕のスタンスと教育は親和性があったのだ。
なんとすごく安心する結論だろう。ちなみにここでいう安心とは、温かい飲み物を飲んで、ほっと気が緩んだといった状態を指すものではない。
これ以上にアクセルを踏んでも道を過たないということが分かったという安心だ。だからガンガン、より集中し、さらに一本道で疾駆できる。
僕の内面がより一層クリアになり、しっかりと自分の心を見つめることができた。結構な時間を割いてよかった。良い思索の時間だったと思う。
まだまだどこまでも深みに下りていこう。とても、楽しみだ。では今日はこの辺で。