今日は少し不思議なタイトルだが、「実行がうまい人」について、丁寧に考察をしてみたいと思う。
これは言うまでもなく当たり前の話だが、何かを好転させたいときに、本を読んだり動画を見たりして成功者の言葉をインプットする”だけ”では、絶対に不十分である。
それを即座に実行し、その行動の中から新たなデータを得て、また次のサイクルに生かす。この循環がなければ、学びの意味は半減どころか、皆無になると言ってもいい。
ただし、この点については多くの人が頭では理解していると思う。それは僕も同じだ。そんなことは小さい頃から何千回と擦られた話である。
しかし、実際に行動に移せる人と、僕みたいなまだそうでない人が明確に2種類存在するのは、果たしてなぜなのだろうか。それを最近よく考えている。
正直、行動すること自体は、実のところそこまで難しい話ではない。今すぐホームランを打て、のような無茶な指令が下るわけでもないのだ。
例えば、多くは「素振りを毎日100回やる」といったような、基本的かつシンプルで、事細かに分解可能なタスクばかりであると思う。
しかし、「100回じゃなくて10回で済むような、もっと効率的な方法はないのか」と質問して、結局行動しない人もいる。そういう人が見限られるのは当然といえる。
こういうのは論外として、実はもう一つ、より厄介で気の毒なタイプが存在する。それは「行動はするが、それ自体がとても下手な人」である。
僕自身、このタイプに該当すると常々感じており、だからこそ自分の要領の悪さと、他人のアドバイスを吸収することの遅さに、ずっと頭を抱えている。
それこそボウリングにおいて、ストライクを取りたければ中心に投げろと言われて、真似してみたら端っこのピン一本だけが倒れる。そんな日々をずっと送っているのだ。
だからどうすれば改善できるかを模索し続けているのだが、最近それを打開しうるヒントを、ようやく掴みかけている。だからそれを忘れる前に、ここで言語化してみたい。
実行力のある人は、「翻訳力」が高い!
行動を実行し、継続するのが得意な人には、どんな共通点があるか。それは、「アドバイスを自分なりに翻訳してから実行する」というものである。
抽象的に言うならば、「結果としてそのアドバイスなり目標なりを実行したことになる別の行動を考えて、それを完遂することにだけ集中する」という風になる。
例えば「漢字の問題をたくさんやるといい」という助言を、「1ヶ月で漢検2級の問題集を解き切る」と捉えなおし、「じゃあ毎日6ページ進めよう」と決めて実行する感じだ。
この思考法は難解に見えて、結構応用が利く。なぜなら広義のゲーミフィケーションだからだ。それはここ最近の自分事としても実感している。
僕は最近『斎藤一人の道は開ける』という本を再読しているのだが、そこには最も大切な要素として、「笑顔」「頷き」「天国言葉」というのが登場する。
それを聞いて「じゃあ、やるしかない」と思ったものの、すぐに僕の真面目な部分が、「それってやった・やらないをどう判断すればいいのか?」という問題に反応した。
そこで一旦立ち止まって、「では、それを自然に実行できるような、定量化が可能な行動に翻訳できないか?」という視点で考え直してみた。
結果僕は、毎日必ず、その日会う大学生講師全員と会話し、一度は笑わせて、そして肯定的な言葉を伝えてあげると決めた。
こういった行動をすれば、自然と「笑顔」「頷き」「天国言葉」が実行されたことになる。いちいち己の胸に問い直さなくても済むのだ。
このように、抽象的なアドバイスを直接こなそうとするのではなく、「何をすれば、その要素が満たされるのか」という一歩先の翻訳作業を行う。
これが実行力の裏にある、もう一つの重要なスキルだと僕は思っている。実行・継続・改善が得意な人は、意識的・無意識的はさておき、この翻訳を挟んでいる気がする。
もちろん、この仮説が正しいかどうかは、これから検証していく必要がある。まだまだ母数が少なくて、結論を出すにはあまりにも時期尚早だからだ。
だが少なくとも「実行力がある人は、インプットされた内容をタスクに翻訳する能力に長けている」という仮説は、そこまで見当違いではないと感じている。
また一つ、いわゆる成功者とされる方々の思考をトレースできた気分である。最も、それは実行を繰り返さないと意味は無いのだが。ということで、今日はこの辺で。