精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【英文読書ルーティン日記241】"When to rob a bank"再読感想ブログ26 ~環境”保護”は気持ちいいゾイ~

世界の裏側が見えている人は、一体どんな眼鏡を通じて世界を見ているのか、その思考の深さと広さを考えるたび、本当に呆然とする。

 

僕とは搭載しているCPUが違うのだろうという、才能で片づけていいのだろうか。何かちょっとしたコツがあって、それに習熟しているのだとしたら、僕もそれを知りたい。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

そう思ってこの本を読みながら、英文の奥に秘められたメッセージを読み解こうと頑張っていると、一つ、これかも知れないというヒントに行き着いた。

 

それはルールそのものに対する理解の深さが前提になっている、というものだ。そしてここでいうルールは、競技におけるそればかりを意味しない。

 

例えば人間の感情の機微などもそうだ。こういうことをすると、こう思われて、ファンが増えたり減ったり、利益が出たり出なかったりする、と。

 

筆者たちはそれをインセンティブと呼んでいるが、世界の裏側が見えている人は、そういった「根源」への解像度が著しく高い。僕はそんな印象を受ける。

 

「基本に通ぜし者、精髄に至る」というのはとあるゲームのセリフなのだが、これもまた世の中の真理なのだろうと思えて、僕はならない。

 

そんな哲学を、今週も読み進めていこう。

 

 

7月28日(月) 実はあれって、コスパがいい戦略だった?

 

「環境に配慮していると宣言すれば、パブリックイメージがよくなる」というのは、正直事実だと思っている。

 

そしてこれは、世界遺産にペンキをまくといった過激派を除けば、これは世界のどこをとっても同じに思える。

 

緑を守るという宣言は、それ自体も尊いが、企業のイメージアップ戦略としても非常に優れているのだ。

 

一時期、購入代金の一部を植林に回すみたいなCMがあったのを覚えている。当時は身を削ってまでよくやるわと思っていた。

 

しかしどうやら、投じるコストは思ったよりも安く、結構簡単にペイできるそうだ。なんと偉大な広告だろうか

 

7月29日(火) ビニール絶対許さないマン。

 

地球環境にとって良くないと言われることを無条件に止めると何が起こるのか。例えば過度な個包装もよく糾弾されている。

 

例えばホウレンソウや小松菜を包むプラスチックを減らせ!コンテナに入れたまま取ればいい!という風に

 

しかし個包装がなければ、商品は早く痛み、商品棚に置かれる時間が減り、廃棄が増えることが想像できる

 

特に廃棄によって腐敗したものが生じさせるメタンガスは、二酸化炭素の何倍もの温室効果があると言われる始末だ。

 

個包装、あれは野放しの悪でもなんでも無いんだとよくわかった。

 

7月30日(水) 世界はシンプルだが、一見した通りの姿ではない。

 

パッケージングの功績の盲点として、「使いきれる」というものがあるのに気づき、ハッとした。それは食品ロスを減らし、巡りめぐって環境を保護することになるのだ。

 

例えば僕は、たまに自炊でタルタルソースのようなソースを自作するのだが、小皿で混ぜるといつも、フチにこびりついて無駄になるものが多いと思っていた。

 

それを拭き取って捨てたり、あるいは洗剤で落としたり。いずれも環境には悪く、どこか後ろめたさを覚えていた。

 

しかし最近のヨーグルトの蓋には何もくっつかなくなったし、マヨネーズも最後の一絞りまで出てくるようになった

 

包装を悪とかなんとかいうことは、技術の進化に中指を立てること。何となくそんな風に感じられつつある。

 

7月31日(木) 実益か価値観か。

 

環境保護といえば、というコンテクストで、最近は英語の教科書にもヴィーガンという言葉が出てくるようになった。

 

それ自体価値観の一つなので、僕は強制さえされなければ「そうなんすね!」で終わりではある。

 

実際、ヴィーガン食にすればエネルギー消費量から食事量まで全て減らせるという研究データも揃っているそうだ。

 

ただ、環境保護に人生を捧げる、とある著名な人のサイトなり本なりに、ヴィーガンの話は出てこないそうだ。

 

それはなぜなのか、それは明日以降に持ち越しっぽい。

 

8月1日(金) 悪名は無名に勝るけどさ。

 

眉唾なショート動画を観ていると、環境保護活動とは迷惑をかけて目立つこと、というイメージがどうしても拭えない

 

実際、顰蹙上等とばかりにとにかく人の目につくことをして、自分達の活動を知ってもらうことが第一だから、らしいのだ。

 

となれば、ただ「ヴィーガンを続ける」より、レストランで屠殺場の音声を流して妨害する方がやはり、目立つ

 

主客転倒している気もするが、さして驚きもしない構図と理屈だなと感じる。

 

8月2日(土) なぜコミュニティが求められるのか?

 

結局そこに至るよな、という話だが……価値観もまた、選択の自由が適応されて然るべきだなという結論に至っていた

 

肉を食う食わない、風呂に入る入らない、その辺りは自己責任で好きにしてという話なのだ。

 

それを押し付けたりスタンダードにしようとしたりすると、軋轢が生まれ、世界はどんどん分断される。

 

ふと思うことだが、「みんなが」気持ちよく暮らすには、世界は広すぎ、オープンすぎなのかもしれない

 

8月3日(日) 暗黙のシグナル。

 

モテたい男性は、金のクレジットカードを持ち、ロレックスを巻いて、レクサスを乗り回す。偏見だが、僕はそう思う。

 

それらのアイテムが意味することは、「こんな高価なものを買えるほど、私は経済力・社会的地位を有するオスです」というメッセージだ。

 

アイテムに代弁させる形で魅力を演出する。それ自体を僕は別になんとも思わない。一つの価値観だし、単なる作戦だ。

 

ただ、最近は事情が変わっているらしい。例えばプリウスは、「環境の意識高いですよ」アピができるらしい。(もっとも、これはアメリカの話だ)

 

だからこそ、自分が身に付けたり使ったりしているものが余計なメッセージを発していないか、そこには意識的になりたいと何故か思わされた。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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