「裸の王様」という寓話がある。実はしっかり読んだことは無いのだが、あれは色々と含蓄に富んだ教えが込められていると感じる。
王様の無知を指摘する。同調圧力を描写する。そういった言葉にすると難しい概念をストーリーによって教えてくれる、という風に感じる人が多い。
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だが僕は最近、あの話を思い出す度、「純粋ゆえに王様の裸を指摘できた少年の思考」に興味が湧いている。あれこそバイアスやしがらみからフリーな人の考え方だ、と。
その役を担ったのが子供というのもある種すごく深いリアリティを伴っていると感じる。僕も願わくばずっと、集団の中でおかしさを見極める子供でありたいと思う。
以下、そんな思いを胸に、また読書感想文を書いていく次第である。
- 8月4日(月) 本当に神の御業なのか?
- 8月5日(火) Are you really an idiot?
- 8月6日(水) 流れ・運・ツキ・勘。
- 8月7日(木) 負けに不思議の負け無し。
- 8月8日(金) おかしいのか、妥当なのか。
- 8月9日(土) 単純なゲームはつまらないのか、楽しいのか。
- 8月10日(日) 10,000時間の努力が天才を生む。
8月4日(月) 本当に神の御業なのか?

運ゲーに勝つために必要なツボは、相手もまた人間であるということを再認識することにあるという。
メンタルを揺さぶり、平常心を奪えば、どんなプロも素人以下の判断力に鈍る可能性がある。そこを狙って突くのだ。
例えばあえて悪手(に見せたもの)を打つ、即断即決を繰り返して圧を掛ける、等々。駆け引きの術はそれこそ無限大なのだ。
相手のミスを誘発させることで、運ゲーではなく勝負として、盛りあがりを演出できる気がしている。
ただこれは、感情を持たないCPUにはもちろん通じないので、その場合は大人しく神に祈る方が得策なのだろう。
8月5日(火) Are you really an idiot?

完全なるアホはさておき、アホのふりをして隙を生み、なんかしらの悪いことをするヤツも世の中にはいる。
無知のふりをして店員さんに根掘り葉掘り質問をして、その間に別の仲間が万引きをする、みたいな。
意識的に相手のハードルを下げられるというより、利害のために演技ができる人が本当に賢い。
なぜならその意識は完全に一つ上のレイヤーにあり、俯瞰して色々選べているからだ。憧れはしないが、思わず感心する心構えである。
8月6日(水) 流れ・運・ツキ・勘。

麻雀でも将棋でもポーカーでも、ボードゲームやカードゲームとされるものに、僕はまるでセンスを持っていない。
しかしながら、それらを突き詰めてプロに至った人達の哲学を学ぶのは大好きだ。
運やツキ、流れといった目に見えないものを徹底的に感じとり、言葉にすることにおいては、彼らの右に出る者はいないと感じる。
それをオカルトだなんだといって切り捨てるのは簡単だが、感性を蔑ろにすると、そのツケは甚大だと僕は思う。
目に見えないものに触れ続けて、いわば感覚というセンサーを日々研ぎ澄ますこと。
これは僕にとって大切なテーマになると感じている。
8月7日(木) 負けに不思議の負け無し。

筆者はポーカーの大会において、もう少しでプロに勝てるというところまで、ビギナーズラックの連鎖により行き着いたそうだ。
あと一組揃えれば勝ち。そんな状況で何が起きたか。筆者がポカミスをやらかしたというより、プロがさらに上を行く手を揃えて、場面をひっくり返したそうだ。
最後まで、淡々と、ブレずに手を打ち続ける。プロがプロたるゆえんは、ハチャメチャに強いというより、相手より心を強く保つのがプロだから、なのかもしれない。
8月8日(金) おかしいのか、妥当なのか。

もっと人気が出るべきものがあったとして、それが単に評価不十分が原因なのか、はたまた致命的ななにかを持っているのかは話が別だ。
前者なら広報を頑張り、口コミといった有機的な宣伝の広まりを狙えば良いが、後者でこれをやるとなかなかまずい。
情報が回ってきたので、ワクワクしながら試してみたら期待外れ。こうなると挽回は難しい。昨今のゲームタイトルでもたまに聞く話だ。
「売れないとおかしい!」ではなく「なぜ売れないか」を感情を排して問い続ける。
というよりこんなくそ面白くもない問答、感情を残したまま重ねても不毛なだけなのである。
8月9日(土) 単純なゲームはつまらないのか、楽しいのか。

やったことは1回も無いが、名前だけは知っているゲームに【バックギャモン】というものがある。筆者はこのゲームが、”面白さと人気が比例していない”と書いている。
シンプルなルールで誰でも理解できるのに、きちんとゲーム性がある。それこそなんで大規模な勝負イベントなどが無いのか、不思議なくらいらしいのだ。
しかし、いわゆる面白さは、ゲームがシンプルであるだけではもちろんだめで、高い戦略性というか、創造性が発揮できる余地が無いとつまらない、というのが真理らしい。
確かに挟み将棋はやっててまぁまぁ楽しいが、見ていて面白いとは思わない。つまりそういうことなのかもしれない。
8月10日(日) 10,000時間の努力が天才を生む。

科学的には眉唾らしいのだが、10,000時間の法則という言葉がある。これはどんな凡才でも、10,000時間をつぎ込めば、その分野のプロになれるという意味だ。
1日3時間の投資で、年間大体1100時間になるなら、それを10年近くやれば、この時間に届く。確かにそれくらいつぎ込めば、偏差値でいうと60程度のスキルにはなるはずだ。
だが筆者曰く、本当に10,000時間つぎ込んだらプロになれるかどうかは、5000時間の時点で大体気づくという切ない話も書かれていた。
そういえば僕も、自分に野球の才能が無いことに気づいたのは、中3の5月頃であった。小4の終わりから始めたので、投資した時間は数千くらいいっていたかもしれない。
才能。この言葉は僕に縁が無いと思っていたが、もしかしたらそう思い込むことで、それを考えることを避けていただけなのかもしれない。
では今日はこの辺で。