精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「自問」を駆使して、客観視のレベルを上げたい。

頭がいい人、冷静な人、客観視が上手い人‥。僕は、これらが表す人物像というのは、ほとんど同じものを指しているのではないかと思っている。

 

頭がいい人はつまり冷静で、冷静であるとはつまり客観視ができるということ。状況が俯瞰できるならばそれは頭がいいと言っていいだろう。

 

昔から僕は、自分より明らかに頭がよくて、冷静で、視野が広い人を見るたび、どうすればそのマインドに至れるのか、ずっと考えては羨み続けている。

 

そして、その悶々とした思いが遂に実ったか、今日ふと「あ、もしかして、こういうことか?」という閃きを得ることができた

 

今日はそれについて、ちょっとワクワクしながら記事を書いてみたいと思う。

 

 

自問に通ぜしもの、客観視に至る。

 

頭がよくて、冷静で、客観視ができる人たちは、同時に「自問」の達人である。これこそ、今日僕が閃いた、一種の暫定解である。

 

そもそも、上記の定義を逆にすると、「頭が悪く、感情的で、主観的にしか物事を見れない」という風になる。言葉にするだけで、絶対めんどくさい相手だと判る。

 

このタイプの物言いは、簡単に予想ができる。「俺が、俺は」といった風に、主語がいつでも一人称で、目線も常に利己的でしか考えられないという具合だ。

 

となれば、二人称視点・三人称視点に上手く切り替える術を身に着けられれば、少なくともあまりにもめんどくさい利己的な人物から、自分は離れることができるだろう。

 

そして、実際にいわゆる頭がいい人たちは、「~だとしたらどう?」とか、「でも〇〇産の立場から考えたら、この考え方もアリだよね」といった物言いが多いことに気づく

 

この際、実際に思考そのものを尋ねたわけではないが、きっと「〇〇さんの立場から考えても、自分が言っていることは正しいか?」といった自問が行われているのだろう

 

もちろん、例はこれだけではない。例えば斎藤一人氏は、「みんなの心を軽くしようと思ったら、今の自分に何ができるかを考えるべし」と説くが、これも広義の自問だ。

 

やはり、自分という枠を越えて、感情的にならず、利己過ぎず利他過ぎず、そんなところを踏まえて物事を観察するには、自問が強力なツールだと見て間違いなさそうだ

 

「この校舎全体を見て、足りないものはなにか?」

「お客様目線で考えたとき、不足していることはなにか?」

 

こういった観点からの思考はものすごく基本的なことだと言われるが、基本的だからこそその効果は大きく、またとても深い教えなんだと改めて実感した。

 

相手の気持ちになって考えろ、という物言いが・・・。

 

ではなぜ、こんな大事なことに、今まで思い至らなかったのか。それは一つだけ、自分の中で全く腹落ちしないケースがあったからだ。

 

それは、「相手の気持ちになって考えろ」というアドバイスだ。僕はこれが昔から嫌いだった。なぜなら、僕と相手は全く別の生き物で、共感などできるわけがないためだ。

 

例えば僕には子供がいない。欲しいとも思わない。性的にも正直、めちゃくちゃ無欲だ。そんな僕が、パパ活に興じるおっさんの気持ちなど、理解できるわけがない。

 

もちろん、それを構造として捉え直し、近似値を分析することは可能だが、それが実際とどこまで近いかは永遠にわからないし、相手を理解したなんてのは傲慢ではないか

 

そういう思いがあったので、つまり相手の気持ちに立つなんてことは不可能という納得を得ていたのもあり、自問の大切さに気付き切れなかったというわけである。

 

―その考え方を改めてくれたのは、今思えば【論破力】にある、ひろゆき氏の考え方だ。彼もまた、正直他人の感情に対して極めて鈍感であると語っている。

 

そんな彼が用いるフレームワークは、パターン化だ。例えばこの人は「プライドが高くて褒めてもらうと喜ぶタイプ」といった風に、やり取りを通じてラベリングするのだ。

 

この手のタイプであれば、それこそ「定期的にヨイショ」して、「たまに過去の武勇伝を聞いてあげる」と喜ぶから、それに見合った行動を選ぶ・・らしい。

 

正直これなら、僕にも何とかなりそうだと思えた。例えば面談において、僕と話がしたいのか、僕に愚痴を言いたいのか、思考の整理がしたいのか、それは序盤で解る。

 

そのパターンに応じて、聞き役に徹したり、カウンセラーのようなやり取りに徹したり、手持ちの情報をどんどん伝えたりと、そういう押し引きは僕もやっている。

 

感情を汲み取っての共感が苦手なら、相手を一つの”生物”としてパターン化し、そのモデルを都度更新し続けながらも、ある程度のやり取りは決め打ちするのも一手だ。

 

まさに、初見の魔物にとりあえず物理攻撃をしてみて、効くなら続行、効かないなら魔法といったカードを切るのと同じだ。そう思うと、ゲームみたいで面白い。

 

・・他にもこの、「感情を律せる人=自問のプロ」という自説については、色々と書きたいことが湧いてきているのだが、ちょっとこの記事にまとめ切るのが難しい。

 

また別の記事で、この続きはしたためたいと思う。とりあえず、今日はこの辺で。

 

 

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