精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「知識なんてのには意味ないよw」というマウントは、生温かく見守りましょう。

一時期ひろゆき氏の影響で、「それってあなたの感想ですよね?」という返しをする生徒が増えた印象がある。マウントが流行るってあるんだなと、ちょっと驚いたものだ。

 

これ自体は、あまり迂闊に振りかざしまくるとかえってアホに見えることから、なりを潜めた気がするが、また別の、今度は根強いマウントワードが目立ってきている。

 

それは、「知ってることに意味はない(キリッ」というものだ。誰が最初に提唱したかはちょっと存じ上げないが、一応その論拠自体は筋が通っているのが面白い。

 

大概の情報は調べたらすぐに出てくる。だから教科書に書いてある情報を覚える意味なんてない!(だから真面目に勉強する奴は無意味w)

 

といった感じ。それだけ切り取れば「なるほどね~」と”思えなくもない”が‥。正直こういうタイプと相対したら、僕は生温かく、適当に返事して、それで終わりである。

 

今日はそういう、胃の底から酸っぱいものが込み上げてきそうな問答に関して、僕が思うことを書いてみる。

 

 

「調べたら出てくる厨」が気づいていないこと。

 

大概の情報は、調べたら出てくる。これ自体は事実だ。だから、頭の中に無駄な知識を入れるだけ無駄だ、という論に繋がる。ただしここには2つ、”抜け”が存在する

 

1つは、調べても出てこない情報の方が圧倒的に多いという事実だ。知識は調べたら確かに出てくるが、体験・感覚は絶対に出てこない。

 

例えば僕はよく、整体師による肩甲骨周りのストレッチの動画などをよく観るが、それを実際に行ってみないと、分からない情報はとても多い。

 

「こうすると肩が伸びる」と言われるが、その感覚自体は、実際に動作を真似してみることで初めて、「本当だ」と思える。知識だけではこの体験は得られないのだ。

 

知識を仕入れることさえ馬鹿にして何もしないなら、その人たちはいったい何を蓄えているのだろうか。個人的にはすごく、不思議で仕方がない。

 

もう1つは、「知識なんてのを持っていても意味がない」という人たちはほとんどの場合、実は「博識である」というものだ。

 

ここまで書いて思い出したが、多分「知識には意味がない」発言の初出は、堀江貴文氏やひろゆき氏のエッセイではないか、と考えている

 

そこだけ切り取ってしまうと、どうにも危険だ。なぜなら彼らはそもそも、めちゃくちゃ博識だからである。あの知識量は、ただただ感嘆するほかない。

 

彼らはあくまで、知識として持っているだけでは意味がないと言っているだけで、それを編集したり体験したりすることが大事という話をしているはずだ。

 

実際、彼ら独自の見解に思えるアイデアの根源は、教科書にも書いてあるレベルの説明から来ていることもしばしばだ。つまり一定量の知識は、実は”前提”なのである。

 

―そもそも論、「調べたら出てくるから覚えてない」と公言する人がいたら、僕は正直、話しても時間が勿体ないな、とどうしても感じてしまう

 

なぜならその人に質問をしても、”調べたら出てくる以上のことが出てこない”のなら、最初から自分でスマホをイジった方が早いからだ。

 

ある種の見栄(にもなっていないのだが)のために、たくさんのことを失う。それが見えていると、「知識なんてのには意味ないよw」というマウントに、僕はドン引きしてしまう

 

とはいえそれを改めてもらおうと、あれこれ世話を焼くほど僕は暇でもないので、生温かく見守るといったリアクションしかできない

 

パワーワードの表面だけ切り取って振りかざすと、ほとんどの場合痛い目に遭う。正直中学生くらいまでなら別に無害なのでどうでもいいのだが…

 

高校生・大学生にもなってこれをやっていたら、確実に”まともな人”はその人のもとを離れていくことだろう。想像するだけでゾッとする構造だ。

 

基本的に、マウントを取ってトクすることなど皆無。今一度僕も、己の身の振り方には意識的にならないといけないな、と思えている。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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