今日は、自分の集中ルーティンについてまとめておく。もともと僕は集中力や作業効率には気を使ってきたつもりだったが、最近は少し我流に偏りすぎていると感じていた。
今自分なりの工夫で、集中力を発揮しようとしているけれど、その根拠がちゃんと科学的か、ふと疑問に思ったのだ。(もちろん感性も大事ではあるけど)

そこで一度基本に立ち返り、集中力の持続や回復に効果があるとされるテッパンの方法論を、あえてそのまま素直に試してみることにした。
結果として、素直に最初からそれをそのままやっておけばよかったと思えるほど効果を体感する方法を2つ再発見できたので、以下つらつらと記録しておく。
無心をナメるな!

1つ目は、今更過ぎる気もするが、「ぼーっとすること」である。本当に何も考えず、ただ頭の中を空っぽにするというイメージだ。
以前から、手を止めて頭を空にする時間は必要だと感じていたが、今回、より意識的に取り入れてみることで、その効果のすごさをしっかりと体感できている。
具体的には、Fitbitのリラクゼーションモードを使い、2分間、意識を使わず映像を眺めるようにした。このとき同時に、呼吸に意識を向けることも徹底している。
その映像として、特に僕と相性が良かったのは、モントレーベイ水族館のライブカメラである。(特に海の様子をただ映すだけのやつと、イカの水槽の様子が効いた)
仕事の合間合間にこれを挟むことで、その後の作業に再び早く・深く集中できるようになったと思う。頭脳労働者の休憩として、これは非常に効果的だと実感している。
「にらみつける」ことでフォーカスを絞る。

2つ目は、「集中の儀式」を改めて設けることだ。イチローが袖を引く動作をするように、僕も「さぁ集中しよう」と己の脳に伝える儀式を作ろうと決めたのだ。
その際に取り入れた方法は極めてシンプルで、対象物を見つつ、目に力を込めるだけである。(眼球を飛び出させようとするイメージが近いかも)
これは”にらみつける”とは少し異なり、眉間に力を入れたまま目を開く感覚だ。決断力の表紙の羽生善治氏の表情が、僕が言わんとするものに一番近いと思う。
これを行うだけで、意識が対象に強く向くようになり、その延長線上として、集中が深まる感覚を得られている。目力は思った以上に大切なようだ。
ただし、人に対して行うと、ただ敵意をもって睨みつけているように見えてしまうため、場合によっては危険かもしれない。
もし参考にされるのであれば、作業や読書といった対象に限定して行うことを、できれば心掛けてみてほしい。
とはいえ、もちろんこの方法が完成形ではない。というより、日々より良くしようという意識を持ち続ける限り、完成する日は来ないとさえ思う。
ついこないだ、武道について解説しているショート動画の中で、「俺は正拳を極めた」とか、「俺の型は完成した」と吹聴する人からコメントが来る、という一言があった。
それを聞いたとき、僕は正直、「極めたとか完成したとか、痛々しすぎて気持ち悪いな・・」と思った。だから僕は、完成という言葉の使いどころには気を付けたい。
集中力を高め、持続するための工夫は今後も改善の余地が、必ずある。だからこれら2つも暫定解に過ぎないのだが、現状きちんと効果は感じられている。
十分に実用的である、とは言ってもいいだろう。だから今後も日々の作業に組み込みながら、より良い方法を探っていきたいと思う。
では今日はこの辺で。