「これを楽しむ者に如かず」。中学生の頃は特に引っかからなかった論語の一節が、大人になってからずっと、心の奥底に存在感をもっている。
僕は今、多少その深度は浅くなったとは思うが、まだまだゾーン状態に在ると自覚している。なぜならそれまでより圧倒的強度と長さで、仕事に向き合えているからだ。
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ただ、歯を食いしばって必死に労働時間を延ばすような在り方で辿り着ける集中力の限界に、今の僕はあると感じてもいる。
だから自問する。「この状況を”楽しむ”にはどうすればいいか?」そのことを考えながら本書を読むと、たとえ英文であろうが、ヒントになる教えを見つけると嬉しくなる。
僕にとっての夢中のサイクルは何か。それを狙って再現する方法はあるのか。人生丸ごとゲームにしているような悪ガキ教授の矜持から、今週もそれを探りたい。
- 8月25日(月) エウレカ!!
- 8月26日(火) 頭を使うなんてナンセンスw公式を使えばいいのにw←さよなら
- 8月27日(水) 猜疑か、慈愛か。
- 8月28日(木) 同調圧力とも違うバイアス。
- 8月29日(金) 嫌いな人には嫌われろ。
- 8月30日(土) 見下されているふりをして見下す。
- 8月31日(日) つまりインセンティブ。
8月25日(月) エウレカ!!

なぜこの強盗は毎週木曜日を選ぶのか?なぜ横領をしている銀行員は休みがなくなるのか?
偶然なのか、因果があるのか。大体の探究は、こういうどうでもよさげな疑問から始まる。
こんな誰もが持つ平凡な問いを、誰も考え付かない理と結びつける力。それは観察力ではないか。
僕が好きな著者たちの考え方に繋がりが見えた今、完全に置いてけぼりだが素直にワクワクしている。
8月26日(火) 頭を使うなんてナンセンスw公式を使えばいいのにw←さよなら

データをたくさん揃える。そこから分かることを帰納する。法則をそこに見出だす。
その法則で未来を予測する。それによって観測されたことの精度がよければ、それは発見として認められ、数多の論文に引用されるようになる……
昔から、ここまで厳密なプロセスを踏みながら、段々と法則の外に当たる事象が増えていくのに疑問を持っていた。
だが今日、当たり前のことに気付いた。そもそもそれは、僕らデータ側の方が、常に変化しているからだ。
例えば中世の時代に帰納したルールは、現代には合わない。帰納されたものの消費期限が、最近は特に短いだけなのだろう。
誰かの結論にフリーライドして、頭を使わずラクをする。そんなのはやはり通用しないんだなと、僕はむしろ、安心を覚えた。
8月27日(水) 猜疑か、慈愛か。

中国は犯罪率が少ないらしい。これは統計データの話で、お国柄もあってか、僕は正直恣意的な何かを感じた。
しかしどちらかといえば、「徹底的な確認」が、犯罪を起こさせてないという感じだった。
客がアメニティを盗んでいないか?犯罪歴はないか?ときには人を待たせてでも確認をする。
賛否両論あるだろうが、そもそも魔が差した人が咎人になる前に止めるという意味で、システム的には悪くない気もする。
8月28日(木) 同調圧力とも違うバイアス。

僕は自己暗示はあまり意味がないと思っていた。特に「俺はできる!」という思い込みは、科学的に否定されていると知ったあたりから、その思いは強まっている。
しかし、実は自己暗示は効果があるものらしいのだ。ただし、負のベクトルにおいて、だ。
実際、テスト前に性別を記載させるタイプの問題だと、女子の数学の正答率が下がるという話もある。
僕はこのステレオタイプは糞だと思っているのだが、根強い偏見をされる側であると自覚した際は、悪い影響を受けるらしい。
8月29日(金) 嫌いな人には嫌われろ。

世界が変われば道徳も変わる。これは至極当たり前のことなのに、とかく僕らはこの事を忘れがちだ。
実際、僕らの常識と、ギャングの常識は違う。東大の目指すものと、専門学校の目指すものは違う。
ネットで叩かれている人が、一方でめちゃくちゃ支持されていることもある。逆もまたしかりだ。
やはり、「自分はどの界隈のどんな価値観を持つ人に支持されたいか」という軸こそが大切なのだろう。
言い換えれば、「そのためには何になら嫌われても良いか」をしっかり見定められることが大切。
ちなみに僕は、「僕がキモいと思う言動をする人たちには、決して好かれたくない」という基準を置いている。
それ以来、変な理屈や物言いをされるたび、キモいとは思うけど、不必要に傷つくことはなくなったと思っている。
8月30日(土) 見下されているふりをして見下す。

僕は何時も、自分がダニング・クルーガー効果に陥った物言いをしていないか、すごく意識している。
無知であるのに、有識者より自信たっぷりにただの主観を話すアホを見るたび、えもいわれぬイタさを覚えるからだ。
とはいえこの思考はいわばバイアスに近く、何時誰にでも起こる歪みである。
今なぜ自分は解っていると思ったか?そんな風に自分がおろかなことを考えるたび、メタで徹底的にこき下ろす。
物事に完成はない。プロよりアマが精通していることはない。その前提でいないと、簡単に知れた側だと錯覚する。つまり、勉強に終わりはないのだ。
8月31日(日) つまりインセンティブ。

厳罰化は、犯罪を減らせるのか。今のところ、それこそ日本の暴対法レベルの苛烈さが無いと、それは期待できないそうだ。
とはいえ、好ましい行動を増やし、望ましくない方法を減らすためには、引き締め以外にもやり方は存在する。
報酬を与えたり、例えば健康上のそれなどの利点があることを伝えて行動を促したり、色々だ。
世の中には、「するな」と言われたらする、面倒な人たちもいる。行動の設計については、手数が多いにこしたことはないのだ。
では今日はこの辺で。