僕は以前から「自分が働けば働くほど、周りの人たちが反比例するように手を抜くようになる」という感覚を持ってきた。それについては、昨日の記事でも言葉にした。
それに関する苛立ちの段階はすでに通り過ぎ、今ではただ寂しいとだけ感じる・・という時期もあったが、最近はもう、それすらも超えてしまった。
今は季節の移ろいのように、より大きな流れの自然現象として受け入れている。僕が働くことで仕事が減り、誰かが暇を楽しめるなら、それはそれでイイと思っている。
もっとも、これは決して僕の理想ではない。しかし、では理想の働き方は何かと問われると、答えに詰まる。
「幸せの青い鳥」を追い求めるような幻想にすがるのは嫌で、存在しないものを探す気持ちになれないからだ。
それでも今回はこの問いを無視せず、反発心を脇に置いて色々と考えてみた結果、ある1つの、「これは面白そうだなー」というモデルが浮かんだ。
それが実現可能かどうかはちょっとわからない。だが、考えるだけならタダだ。だから以下、それをざっくりとまとめていく。
独立した個でグループを創ろう。
それは、僕と似た考えを持つ人を選び、その人に、その人の裁量で、一つの校舎を持ってもらうというものだ。そして僕は僕で、一つの校舎を受け持つ、と。
トップダウンで束ねるのではなく、独立した「個」同士のつながりでグループを形成する。自分に裁量や権限、責任が無いと辛くなる人と、僕は並走したいと思う。
とはいえ会社という体裁を取るならば、便宜上僕が社長や塾長という肩書を持つことになるかもしれない。しかしそんなのは、ただの形式的なものにすぎない。
藤田晋氏も書いていたが、社長はなろうと思えば誰でもなれるのだから、その肩書には意味などないのだ。(むしろそれを得たらふんぞり返る人は要らない)
そうやって一人一人が裁量・権限・責任を持ちつつも、人財や最低限のルールはきちんと共有し、グループであることのメリットは享受する。
ある程度の枠組みと資本を保証しながら、その状態で、「好きにやれ」というのが僕の言いたいことだし、「好きにしていいよ」こそ、僕が言われたいことなのだ。
自分で裁量を持たなければ生きていけないような人と組み、互いにフェアな立場で働き、組織としての結果を出す。それが強いて言うなら、僕が考える理想に近い。
さらに、その人がまた「この人となら」と思える相手を見つけたら、その人にも拠点を任せる。そうして独立した拠点を複数つくり、展開していければ、面白いと思った。
ちなみに、僕は今の会社をすべて引き継いで社長になるつもりは、毛頭ない。なんというか、興味がない。それよりも、一度まっさらになりたい、というか。
新しく独立した拠点をつくり、それを増やしていく。今ある場所を僕色にじわじわ染めていくのではなく、最初から共感で人を集められるか、試す。
机上の空論と言われればそれまでだが、さっきも書いたが夢を語るだけならタダだ。こういうビジョン、不思議と考えていたら、心が躍るのを感じた。
もちろん、今後経理であったり組織論であったりの学びが深まれば、「このモデルは成り立たず、結果破綻するだけ」ということがわかる可能性もある。
だが、それはそれでよい。ならばどうするかと、そのときまた考えればいいだけだ。これがダメなら、じゃあどうするか、と考え続けることこそが大切なのだから。
久しぶりに、「夢とか理想」を考えて、まだマシだなと思えた時間であった。では今日はこの辺で。