今年は、お盆を除くと、最後にフル休みを取ったのはいつだっただろうか。それがロクに思い出せないほど、ここまでずっと、仕事にベットして働き続けている。
では、そこまでして、僕は何を達成したいのか。先日会った友人にそう尋ねられて、僕は即答できなかった。そもそも自分自身、さして深く言葉にもしてこなかったのだ。
ただ、ビジネスの最前線で働く人が書いた本を読むと、多くの人がその日々や想いを言葉にする過程で「本当に到達したいもの」を見出している例をよく目にする。
だからこそ僕も、ここで一度整理しておきたいと思った。その先にあるのが、確固たる信念のような目的なのか、それとも実は何もないことがわかるのか。
そういう怖さはあるけれど、好奇心の方が買っている。だから臆せず、深堀していこうと思う。
直近の目標と、その先にある本当の目的。
直近の目標は、生徒数や売上を、僕が立てた一定水準まで引き上げることだ。しかし、それはあくまで手段であって目的ではない。僕が本当に達成したいことは二つある。
一つは「自分が間違っていなかった」こと。もう一つは「自分を否定した人たちこそ間違っていた」ことだ。同じことを言っているようだが、特に強く思うのは後者である。
僕はこれまで散々、「越権行為をするな」とか、「そんなやり方は意味がない」といった風に苦言を呈されたり馬鹿にされたり、さらにはカミナリを落とされてここまで来た。
もちろん最初は、自分の社会人としての歴の浅さや、視野の狭さを叩きつけられているのだから、これは謙虚に受け止めて反省すべきだと思ってきた。
しかし、自分でやることを止めて「言われたことに従う部下」に徹してみたところ、いつまで経っても指示は来ず、状況を報告すれば煙たがられる始末だった。
―こういうのを経ると、否が応でも、思うことは変わる。「なんだかんだで、僕のやり方や考え方のが、筋が通っていたのではないか」という風に。
それなのに、役職を持ち、給料が僕より高い人たちが、それを根拠として無条件に「正しい」とされる組織図であり、それがここ数年、本当にずっと疑問だった。
なんだかんだで僕は今、給与はそこまで変わっていないが、責任と役職を引き継ぐこととなった。だからこそ、今の状況を超えられなければ、話にならないと考えている。
このままだらだらと現状維持でやっていくなんて、死んでもごめんだ。むしろこのままでは、死んでも死にきれない。それくらい悲痛なことさえ、実は考えている。
・・・ところで、もし目標を達成し、状況をクリアできたなら、僕はそのとき何を思うだろうか。達成感や安堵は多分、一瞬感じて、すぐに忘れるだろうと思う。
その後でおそらく僕は、「早く引き継ぎたい」と考えるだろう。どんなゲームもクリアすれば飽きるように、目標には到達してしまえば興味を失うからだ。
肩書きにしがみつくようになったら、僕は30代だが耄碌し始めたと思う。だからこそ、モチベーションのある人にバトンを渡し、自分は退く方がイイと考えている。
要するに僕は、自分を否定してきた人たちに「彼らの方が間違っていた」と突きつけさえすれば、それでいいんだろうと思う。確かにそれくらい、あの日々は悔しかった。
もっとも、数値を出してもナンジャカンジャ論をすり替えたり難癖をつけたりして、評論家たちは黙らないだろう。
ただ、語れば語るほど惨めになる構図にしてしまえば、それは即ち勝ちだと思っている。圧倒的強者に「俺だって・・」と愚痴る人がいたら、それはダサい敗者なのだ。
その光景さえ現出できれば、僕の目的は果たせる。命あるうちに、と言ったら大げさだが、まだ体が動くうちに、持てる資本を注ぎ込んで、成し遂げたく思う。
では今日はこの辺で。