今日は少しダークな話になるかもしれない。僕はかつて、「頭でっかちだ」「勉強ばかりで行動が伴っていない」といった形でマウントを取られることが多かった。
とはいえ、僕自身が頑固とか、いろんな理由はあると思うが、そうしたアドバイスやマウントをまともに取り合ったことは一度もなかった。「気をつけます」、以上、なのだ。

一時期は「自分はやはり行動が遅くて、それが思い切り足を引っ張っているのかな・・」と結構気にした時期もあった。特にこの思考は20代の頃に顕著だった。
ただ、最終的には「これは1つのスタイル、特性だ」と割り切ることができ、さほど気にならなくなってしまった。弱みとも強みとも取れる、ただそれだけなのだと。
そう言う風に割り切ってからは、「行動が遅い」という指摘を僕に何度も繰り返す人たちは、別に僕に改善を期待しているのではないことにも気づいてしまった。
単に、「お前より俺の方が優れている」と言いたいだけであり、だからこそ僕の不得意なところにその方々の得意な点をぶつけていただけに過ぎない。そう納得できたのだ。
では、当時「勉強なんかしても意味がない」「考えるより動け」と言っていた人たちは、それを経て今どうなったのか。ふと冷静に考えると、興味深いことに気づいた。
今日はそんなお話を以下、つらつらと書いていこう。
見え透いていた未来。

結論から言えば、彼らは見事な「指示待ち族」になっていた。もっと口悪く言えば、ただのコメンテーターである。
自分から働きかけて行動を促したり、新しいことを学んだり、できるようになる努力をせず、「システムのせい」「会社が保障するのは当然」と言って諸々を回避する。
そうして、ある意味で守られた立場や環境に身を置いたまま、評論めいたことを語ってつまり何もしない存在になってしまった方々が、本当に多いのだ。
実際、勉強する人を笑う人は、勉強そのものをダサいと感じている。そのためインプットは基本的にしない。行動っぽいことをしていればいいと考えているのだろう。
しかし、行動にもきちんと落とし穴がある。それは、センスや仮説がなければ、ただの行き当たりばったりに過ぎなくなる、というものだ。
インプットや検証を欠いた行動とは、つまり「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」と同じで、無駄が多く、非効率で、打率も低く、また経験値の質も悪い。
しかし結果として疲れはするので、やっている感は得られる。勉強している奴らを出し抜けた感覚を味わうこともできる。そして、優越感は膨張する。
学ぶ時間を取る人を、「迂遠」とか「頭でっかち」としか評せなくなってくる。一応反復している限り人は成長こそするが、その結果が歪になるリスクもある。
適当にやってれば達人になれるのは、漫画の中だけだ。どの世界、どの競技も関係なく、熟達者は膨大な反省と検証と勉強を重ねているものだ。
・・・さらに皮肉なのは、そうした人たちがとても暇そうであることだ。時間があっても「今できることは何か」と考えず、それを丸ごと休憩に充ててしまう。
仕事をしなくてもいい時間だから、徹底的に暇をつぶす。そんな姿勢で過ごしているように見える。僕からすれば、逆にすごいと思ってしまう光景だ。
これらのサイクルが幾重にも重なった結果、意識の格差はどんどん広がり、しかもそれが硬直化している気がする。僕がなりたくない姿が、そこに現出されている。
・・・やはり、かつて僕を「頭でっかち」と笑った人ほど、今はただのコメンテーターになっている。その姿を見ると残念であると同時に、「まあ、そうだよな」とも思う。
さて。もしあなたの周りに、勉強を頑張っている人を見下して「行動力がない」と馬鹿にする人がいるなら、今のうちから距離を取った方がいいかもしれない。
そうした人はよほどのことが無い限り、大体はコメンテーターになり、そこで全てがストップすることになる可能性が大だ。
だからこそ、知らないことがあれば勉強したり、経験がなければ積んだりすべきであり、それ自体は絶対に大事な心構えだと断言できる。
あなたがコメンテーターになりたいなら話は別だが、そう思っておいた方がイイと思う。
では、今日はこの辺で。