精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

「寂しさ」を段々肯定できるようになってきた。

今日は少し哲学めいた話になるが、「寂しさ」を肯定できるようになってきたという話を書いておきたい。

 

過去このブログに時折吐露していたように、6月から7月にかけて、自分はよく”寂しさ”を感じていた。

 

その寂しさは「人肌恋しい」とか「独身だから寂しい」といった"sad"の寂しさではなく、より正確に言うなら"alone"の方が正しい、と最近は思う。

 

その原因は結構わかりやすくて、自分が辿り着きたいと思っているものに誰も関心を示さず、孤軍奮闘の中でレスポンスもなく頑張らざるを得ないことによるものだった。

 

もちろん、僕が「やる気のある無能」であり、会社に無駄な残業といった精神的疲弊を強いていたなら、無視されるのも当然だし、そちらの方が正しいと言えるだろう。

 

しかし実際、むしろ他の人は巻き込まず、定時出社・退社を守らせつつ、何なら周りの人の無駄な出社を減らすために僕が出たりしている以上、そうではないと信じたい

 

僕がそこまでしてしまうのは、元来の性格もあるだろうが、それ以上に、僕が辿り着きたい水準があり、見たい世界があるからである。

 

だから僕が一人で勝手にやっていれば確かにそれでもいいのだが、それでも「俺は独りで何をしているのだろう」と思う瞬間はあり、その寂しさは段階的に深まっている

 

―しかしながら、この寂しさの別の側面に最近は辿り着いており、結論を言えばそれがタイトルの心境に至らせてくれている

 

以下、そんな話を書いてみる。

 

 

独りになったときに覚えるのが寂しさ、ということは…

 

振り返ると、寂しさが強まるのは、「僕と周りの方々で差がついたとき」だったように思う。これは能力だけでなく、意識の差、モチベーションの高低なども含める。

 

僕は足りないもの、知らないもの、できないことがあれば、それをどう補うかを考えて工夫することが、我ながら好きなタイプだ。

 

例えば広報資材のデザイン、発注、配布、人員調整、振替授業の管理などをもっと上手くラクにしたいと思った結果、色んなショートカットを見つけたように感じている。

 

ただ、その結果として、”周囲がそれをしなくなり、できなくもなっていく”という現象が発生し、その様子を見て悩むと同時に、凄まじい寂しさを覚えたこともある

 

僕がその人の空き時間を増やした結果、それを丸ごと全部休憩や娯楽に充てられているようなものであり、心底真面目な人が見たら血管が切れるのではないかとさえ思う。

 

・・ただ、これを踏まえて「やれ!」といって仕事を渡すのも、僕は微妙だなと思っている。それを監督し、報告を受ける手間が発生するためだ。

 

裏返せば自分ができるようになったからこそ頼まなくても済むようになった、ということでもある。最近はこう納得している。そもそもウチは大企業でもなんでもないのだ。

 

そのうえで、直近で一番の寂しさを感じたのは、経理の勉強を始めたときだ。まだ勉強し始めてそんなに日数は経っていないが、くらくらするような発見がもう多い。

 

帳簿や税制を学び、お金の流れにシビアになると「なぜ無駄遣いできるのか」「なぜ長い休憩を平気で取れるのか」と沸々と感じるようになった。

 

これはもちろん、まだまだ認識の甘い自分自身にも向いているのだが、僕だけが「ヤバさ」を見ている気がして、周りとの強い温度差を同時に覚えている。

 

そのとき、「これが寂しさの正体であるならば、それはつまり自分が成長したという証なのではないか?」と思いついたのだ。そしてこれは、なかなかに厳しい話だ。

 

いる世界が変わり、かつての自分と同じ地点にいた人たちとは見ているものが変わってしまった。これを後ろ向きに捉えれば寂しさとなり、前向きに考えれば成長となる。

 

たとえるなら、中学受験を経て進学した子が、受験をしていない友人と再会したときに覚える違和感に近いのかもしれない。

 

優劣ではなく、見ているものが根本的に違ってしまっているという実感。重松清氏の「南小フォーエバー」にも、似たような描写があったように記憶している。

 

ならば、この寂しさは「成長痛」に近いのだろう。成長すればするほどついてくる感情であり、逆に言えばこの寂しさがある限り、自分はまだ成長しているのだと思える。

 

もちろんこれはポジティブを通り越した能天気な解釈であり、思い違いも甚だしい可能性もある。

 

それでも「そう思っていないとやっていられない」という事情もあるので、僕はこの寂しさを肯定的に捉えることにした。

 

つまり、寂しさは成長の証であり、避けるものではなく抱えていくものなのだ。そう思えると、この寂しさが急に愛しくさえ、思えてきた。

 

そんな人生が辛いのか、どうか。死ぬときになったら丁寧に答え合わせしてみたいと思う。

 

では今日はこの辺で。

 

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