タイトルにある表現は、僕が考えたものではなく、実際にそういう態度で絡んできた人がいた、という話だ。今日はその経験から感じたことを観察し、まとめてみる。
ことの発端は、塾が提供も発行もしていない資料をめぐるやり取りだった。その資料の提出がギリギリになったにもかかわらず、「どうしてくれるんだ」と責められたのだ。

例えるなら、チケット販売日を把握しておらず、購入できるかどうかも分からなくなったのは、「その日付を教えなかったお前が悪い」と第三者に言っているようなものだ。
そして僕の立場といえば、僕の責任ということにできなくもないけど、流石に無理があるだろうと、ネガティブな僕でさえ思うポジションなのだ。
相手はひたすらに八つ当たりのようなことを電話でまくし立て、最後は僕の返答もろくすっぽ聞かず、一方的に切ってきた。
その後で感情的な”吐き捨て”ともいえるメッセージが送られてきて・・・・僕はそれに心を痛めたかというと、そんなことはなく、ただただ、【気分が悪い】状態である。
ぶっちゃけその不快さからまともに聞く気も起きず、途中からは適当な相槌をしながら皿洗いをしたり、プロテインをシェイクしていたくらいである。(そもそも業務前!)
この「雨が降ってもお前のせい」という姿勢は、やはりどうしても、見ていて、接してみて、とてつもなく非常に不快である。
そんなことを言っている僕だが、「強く言われたら無条件で自分が悪い」と思い込む癖が長いことあった。野球部という体育会に属していたも影響していたと思う。
しかし今回の件は明らかに単なる言いがかりであり、僕の側に非を探す方が無理筋だと感じた。だからひたすら、今はキモさだけを感じている。
以下そのキモさを、ひたすら言葉にしていく次第である。ではいこう。
「キモさ」という残滓。

今の気持ちは「感情的な言葉をぶつけられて傷ついた」というより、ただひたすら、「マジでキモい…」という不快感に尽きる。
排水溝に撒かれたゲロを見た後のように、胸が詰まる。しかもその後始末をしなければならないのが自分であるときに抱く、強く持続的な不快さだ。
こうした「キモさ」は時間が経てば薄れるが、僕の場合は1日近く長引くことが多い。後悔や反省はなく、純粋に「気持ち悪かった」という記憶だけが残るのが厄介だ。
改めて思うに、この不快感は、RPGでいうところの「毒ダメージ」に近い。放置するとじわじわ効いてくる。だからこそアイテムや魔法による解毒を習得する必要がある。
具体的にその方法が何なのか。今はまだ答えを開発できていない。そもそも、「マジキモい」という感情が具体的にどんなものなのか、解像度も不十分だ。
だから今日も貴重な機会と捉え直し、せっかくなので密に分析してみた。すると結構面白いことが分かったので、以下それを観察結果と割り切って、まとめてみる。
【キモい】がまとわりつくと僕はどうなる?

まずは体感で紐解いていく。「マジキモい・・」と思うと、はっきりと身体に一つの症状が出る。胃の入り口当たり(肋骨の下らへん)が物理的に詰まる感覚を覚えるのだ。
その状態だとはっきりと食欲が減退し、水を飲むのにさえ苦労するほど、”詰まる。”昔それを、鈍色でギトギトした餅が詰められた感じ、と形容したのを覚えている。
そこまではこないだも辿り着いた観察だが、今回は新たな発見があった。この【マジキモい】モードのときは、心拍数がめちゃくちゃ上がるのだ。
bpmは116まで上がっており、これは早歩きでウォーキングをし始めて、10分弱経った後の心拍数にかなり近い。これを知ったことで、仮説が一気に洗練された。
僕が嫌悪感を覚えているとき、身体に生じているのは闘争モード、つまり交感神経が優位になっている状態だ。しかしそこに、やる気が伴っていない感じに近い。
身体は闘争に特化した機能になっているのに、意識は別に争いたいという気持ちが無い。このちぐはぐさを、【キモい】と思っているときに、僕は感じている。
こういうキモさに苛まれているとき、僕の頭に浮かぶイメージは、不思議と似た性質のものが多い。例えば対局で相手の手を待つイメージ。あるいは、野球の守備の光景だ。
これらの共通点は、身体は闘争状態(集中)に置いておかないといけないのに、相手が次に何をいつ仕掛けてくるかがわからない状態であることだ。
”身構える”という一点では、嫌悪による不快感も、スポーツによる”待ち”時間も、両方同じということになる。正直それに対して、違和感はあまりない。
では、決定的に違うのは何か。それは、明確な、それこそ相手の手であったり、ゲームチェンジであったりといった客観的・絶対的な区切りが無いことだろう。
もっと適切なイメージを探すと、それは塹壕戦に近いことがわかった。気が抜けない状態のままスタンバイを強いられ、しかもそれがいつ終わるかわからない。
大仰と言われればそれまでだが、僕はそれほどまでの圧倒的な敵意を、僕の道徳的嫌悪に触れるものすべてに抱くようである。
ということで、今日得られた仮説をまとめてみよう。
僕にとっての嫌悪は、忌避すべきものに相対したことによる強烈な防衛反応で、それはいつ終わるとも知れない状況下で常に緊張状態にあるのと似ている。
となれば、戦場で戦う戦士のメンタル術などを学ぶことが、もしかしたらこういう状況下で僕を救いうる魔法として機能するのかもしれない。
これはまた、新たな問いに立てたということ。そういう意味では、ある意味嫌悪から良いヒントを得られたということにはなりそうだ。
では今日はこの辺で。