精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

僕が「苦手な」文章について。

僕は基本的に文章、もとい言葉で思考したり表現したりするのが好きだ。だから人となりを見るときも、基本は写真や動画より、インタビューやブログを参照する。

 

例えば気になる人(異性として、ではなく)がいた際は、その人の書いたエッセイやブログが手に取れるならそうすることがとても多い。

 

また、その人のファンになるきっかけも、そういった言葉で内面を知ったから、というのが多い。それくらい僕は、そもそも文章が好きなんだと思う。

 

・・・そんな僕だが、無条件で文章が好きかと言われれば、決してそうではないと言っておきたい。ちゃんと、「苦手な」文章もあるわけで。

 

今日はそれについて、ガチでネタが無いので、うだうだとただの持論を書き並べていく。

 

 

「俺は頭がいいんだ!」というのが言いたいだけの文章は嫌い。

 

僕が苦手な文章を端的に言えば、その目的が「俺は頭がいいんだ!」というのを披歴することにしかないやつである。

 

実際こないだも、約三万字に渡るブログを何気なく読んだのだが、言葉自体はそれこそ漢検2級レベルの語彙のものが使われているのに、読みにくくて仕方なかった

 

僕の読解力が低いせいかと少し不安になったが、その構造や内容に注意を向けると、その理由がわかった。書いた目的が、内容をこちらに伝えることに”なかった”からだ。

 

例えば不必要なまでにその人自身の模試の順位がどうとか、偏差値がなんだとかを織り交ぜており、「そんな俺が語るから正しい」というメタがどうしても透けて見えた

 

また、全体を通してみると、構成が一本道ではなく、無駄に著名人のコメントを引用したり、具体例とするにはあまりにも乱暴な規模に広げたり、そんなのが目立った。

 

いわゆる「俺は頭が良いし、ここに引用した人たちも頭が良い。理解できないのは、読者のお前の力不足」と思うタイプなのかな、と思ってしまったのだ。

 

こんな風に、やたら高尚に見えて、その実、何も伝わってこない衒学的な文章が、僕はとても苦手である。読むと損した気持ちになり、時間を返してほしいとさえ思う。

 

吐露するなら自分の輝かしい部分だけじゃなくて、むしろ人間臭い部分も混ぜたらいいのにな、と思う。多分そこを肯定するほど、自分が好きではないのだろうと思うけど。

 

別に僕自身が国語力が上の知れた側なんていうつもりは毛頭ないが、流石に「この文章を自信満々で上げてくるのは恥ずかしいな・・」ということは思う

 

一応理解しようとは努めるけど、そのうえでマジで何も伝わってこないとか、あるいは「自分に酔ってるだけか」と思うものは、なかなかに胃袋が酸っぱい。

 

例えば最近、以下の文章を読んで、普通に色んな感情や感想が湧いた結果、頭を抱えてしまった。皆様はこの文章(?)が何を言いたいか、汲み取れるだろうか。

 

まずたとえば、彼女が彼氏に「女性とサシで飲みに行くのはやめて」という決まりを課したとする。

 

これを受けて彼氏は、女友達から飲みに誘われたら断るか他の人間を含めた複数人にせざるを得なくなり、二人で積もる話がしたかったとしてもできないわけだ。

 

「ごめんね本当は行きたいんだけど彼女とこういう決まりがあって」と断ることも断らないことの間には精神性の差異がない、どちらも彼は「行きたい」と思っているのにかわらず行動だけを制限するのって本質的じゃないよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・正直、未だに僕は、これを通じて何が言いたいのかが不明瞭だ。「遊びくらい好きにさせてよ」なのか?それとも「束縛はしない方がいいよ」なのか?

 

理屈っぽいことを筋道立てて言ったつもりになっているだけに思えて、これを送られたであろう人に僕はすごく同情する。さぞキモかっただろう、と。

 

やはりこういう文章を読むと、本当に具合が悪くなる。自分が書かないことも勿論だが、こういうのを迂闊に読まないように気をつけたいな、と改めて誓いたい。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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