最近、自分の心身の疲れがはっきりと表面化していると感じる。心身のパフォーマンスは、最も調子が良い時と比べて半分程度に落ちている実感さえある。
6月頃から続けていた“精神的ドーピング”の効果が切れ、いまは禁断・離脱症状のような状態が出ている印象だ。それくらい今は”平素とは違う自分”だと思っている。

この絶不調を受けて、以前の記事では「我慢していたものがついに表面化しただけ」といった分析をした。そして、それも7割程度は正しいと感じている。
しかし、それだけでは説明できない、もっと深い要因があるのではないかと思い始めた。その暫定解が、僕のこの激甚の疲労は、”引きずりだされたもの”というものだ。
どこか詩的な表現になっている気もするが、今日はこのまま書き進めていこう。
厨二全開で言えば、「力に反応する」みたいな?

疲れを自覚し始めたとき、メンタル不調に関する動画や記事を多く目にしていた。「心が疲れた人のサイン」「弱さを言葉にすることの意味」といった情報である。
ニワトリタマゴな話でもあるのだが、それらに触れるうちに、自分にも当てはまるのがあると感じたり、「疲れた」と口にしていいのではないかと思うようになっていった。
「心の疲れを取る技術」にも書かれているが、脳が鈍化させた疲労などの症状を、意識の力で増幅させて受け取ることで、ある種の暴走状態は解除されると言われる。
今回も実はそれに該当しているとしたら、どうか。脳がいわゆるドーピングのような機能で抑えていたものが、「他人の疲労話」によって、表に出てしまった可能性がある。
「もし〇〇ならあなたの心身は限界」という文言を受け、自分の身体に意識を向ける。そしてその兆候に似たものを感じた結果、僕の疲労感が顕在化した。
そう思うと、すごく納得感が強い。ただし今この状況下においては、「なんて邪魔なことをしてくれたんだ」という憤りに近い感情を抱いているのが厄介だが。
”本当にヤバそう”な人は、”判る”ものだ。
これに似たエピソードを思い出す。先日、夜に突然知人から電話があり、1時間ほどそのまま話し続けるという一幕があった。
上手く言葉にできないが、話の流れ、口調、トーン、内容、そういったものからひしひしと、「もうこの人は限界間近だ」と判るくらい、差し迫っているものを感じた。
そしてその電話が終わったのち、不思議なことが僕に起きた。まず、猛烈な眼精疲労に襲われた。考え事がどんどん悲惨な未来を描くのを感じた。
話し相手が抱えているとんでもない疲労を、僕は受信してしまったのだと最初は思った。しかし今改めて思えば、その電話が僕の隠していた疲労を曝け出したに過ぎない。
やはり疲労を意識するときは、外からの働きかけが作用しているケースが多そうである。もちろんこれ自体もバイアスだとは思うが、そう思わずにはいられない。
終わりに:より一層、自分を中庸に置くためには?
この経験から学べることは、極めてシンプルだ。思った以上に僕らは、周りの人や言葉に影響を受け、それによって自己観察・自己内省の結果さえ変わってしまう。
仮に、もし自分を労わりたいと思うのであれば、例えば趣味を謳歌する人のブログを読むとか、優しい言葉を与えてくれる動画を観ると良いだろう。
逆に、一つのターゲットに集中して、もっと追い込みたい時期にそうした記事を読むと、かえってマイナスになる可能性がある。
書いている最中に思い出したが、夏にゾーンに入っていたときの僕は、とにかく起業家の方のブログをひたすらに読み続けていた。
あの熱量、あの狂気を少しでも自分に憑依できないか。そういう思いから貪るように読んでいたが、あの時期に神経・精神が張り詰められたのは、多分その”おかげ”だ。
つまり、自己管理の一形態として、「受信する情報を都度選別すること」もまた、非常に大切なのだと気づかされた。
そういう意味で、この疲労感も別に、むげに否定するべきものではないように思えてきている。
では今日はこの辺で。