精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

今一番のテーマは、一周回って【整理整頓】。

ここ数日、自分の中で興味が膨らんだ結果、気づけば毎日やっていることがある。それは一言で言えば【整理整頓】だ。

 

職場のそれは言われるまでもなく毎日やっているつもりだったが、家のそれは割とおざなりだったのもあり、最近は毎日10~20分、せっせとお片付けに勤しんでいる

 

ではなぜ最近、【整理整頓】に一層精を出すようになったのか。これには、結構実利的な理由と、特にエビデンスのない心理的理由の2つがある。

 

今日はそれぞれ、以下つらつらと書いていく。

 

 

散らかった場所に好意的な人はいない。

 

これは身も蓋もない話として真っ先に伝えたいのだが、散らかっていたり汚れていたりする場所に何かしらの魅力を覚えることは、まずありえない

 

「いやでも、汚いけど美味しい店が時たまテレビで盛り上がるじゃんか!」という反論が出そうだが、ほとんどの人は、「きれいで美味しい店を選ぶ」に決まっている。

 

そういう例を振りかざして、「つまり掃除しなくてもウデがあれば、おk!」みたいなヌルいことを考えていると、遅かれ早かれその場所は没落すると僕は考えている。

 

尚、モノが多いことと、散らかっていることは、似て非なるものだ。前者にはテーマや括りがあるが、後者には全くそれがないという違いがある。

 

小売業であれば、例えばドン・キホーテヴィレッジヴァンガードのように、モノの多さを売りにして繁盛できる例もあるが、塾でそれができるイメージは全く湧かない

 

比喩として適当かどうかはわからないが、散らかった状態で繁盛している、歯医者や整骨院、スポーツジムを、僕は知らない。塾も多分、同じ性質なのだと思う。

 

散らかっている状態はちゃんと異常なのだと感受し、その状態は徹底的に排除しようと努めると、自然と自分の部屋の散らかった部分にも意識が向く

 

家が汚い人は職場も汚す。職場を汚す人の家は散らかっている。そこに必ずリンクがある。もちろん例外もいるだろう。だが大体がそうなのだから、無視はできない。

 

それくらいシビアに考えて、職場と同じくらい、僕は自分の部屋が取っ散らかっていないか、かなり厳しめに観察するよう意識している。

 

”落ち着ける”場所を突き詰めると…。

 

そもそも論だが、僕は「モノが少ない場所」に身を置いていると、すごく落ち着くタイプだ。(ミニマリストほど過剰ではないが)

 

正確に言えば、不必要なモノはほとんど置かれておらず、かつ目につく範囲でモノという刺激がなるべく少ない場所が好き、という感じだ。

 

今要らないのなら、それは捨てるか使うかして処分すべきだと思うし、収納すれば目につかなくなるなら、とっととそうした方がいいと思うタイプだ。

 

だから家の清掃にプラスして、使わないものを別にまとめて処分する準備をしたり、使えば無くなるものを優先的に使ってモノを減らしたり、そんなことに取り組んでいる

 

それは職場も同じだ。使わないなら、それはつまり要らないものなのだから、処分する。磨いたり拭いたりなんてのは、不要物を処分してからの話なのである。

 

とはいえ、ものに囲まれている方が落ち着くという人もいるというが、シビアなことをいうと、その手の人に店舗や校舎を任せるのは非常に危険だと僕は考えている。

 

そういうときは、せめて美化活動が得意な人もセットで派遣し、基本的に清掃はその人に一任した方がいい。間違っても、片付けに文句を言わせてはいけない。

 

僕の校舎のお歴々は、時効だから話すと、ビビるほど整理整頓が苦手だった。わけのわからない場所に重要書類を埋没させ、なぜか僕が探すこともしばしばだった。

 

食べ物のカスも普通に落ちていて、流石に見かねて掃除をすると、露骨に嫌そうな顔をされるのが常だった。なんて子供なのかと呆れたが、そのうちその感想すら失せた。

 

保護者からのアンケートにも不潔さを指摘されたのだが、それに対し「なんでかな?」とその人が首をかしげていたときは、ついに僕も慄然とした

 

そのトラウマがあるからこそ、一周回って整理整頓が、僕の大きなテーマになっているかなとも感じる。

 

仮に”姑みたい”と返されても、逆に「これを過度と言うのなら、あなたは校舎に入らなくていいです」というくらいでないと、僕は甘いということなのだろう

 

そういう腹は、きちんと括っておこうと、【整理整頓】を通じて改めて、意を強くした次第である。では今日はこの辺で。

 

 

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