精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

不調時の身の処し方を、めちゃくちゃ働く人のスランプに学ぶ。

ここ最近ずっと愚痴っている通り、最近、何もしたくないというほどではないが、エネルギーを使い果たした感覚がずっとある。心にモヤが掛かっているようなのだ。

 

例えばポスティングに出かけたいと思っても、緩い金縛りみたいな重さで体が動かない。これを何度も繰り返しているため、段々自己嫌悪に至りつつもある。

 

とはいえ、自分が満足するまでしっかり寝た後であれば、筋トレもフルパワーでできるほど体は動くし、考えごとの質も、最近はとても前向きになってきている自覚がある。

 

トータルで見れば回復に向かって進んでいるんだとは実感している。ただ、精神に対して体力の回復がまるで追いついておらず、そのズレがもどかしさを生んでいる

 

正直、したいことは毎日大量に閃いている。楽しい未来の計画を考える心の余裕もできた。だが、それを実行・実現する身体の方が、まだまだグロッキーなのだ。

 

つまり僕は不調なのだが、この状況に陥っている人々の話を、実は読んだことがある。その内容を思い返すと、良いヒントをパッと思い出すことができた

 

今日はそれについて書いていく次第である。

 

 

”スランプには浸かれ”。

 

僕は、めちゃくちゃ仕事にのめり込む人の話を聞くことや読むことが好きで、例えば幻冬舎社長の見城徹氏や実業家の堀江貴文氏の本や言葉によく触れている。

 

そんな方々も、人生の特定の時期に、身から出た錆なのか不運なのかは場合によりけりだが、なかなかに巨大な精神的ダメージを受けたという話がよく出てくる

 

普段の豪放磊落な物言いからは想像できないほど、くよくよ落ち込み、絶望に浸り、そこから抜け出すための何かしらの行動すら取れない時期があったというのだ。

 

その話を読んでいると、こちらまで辛くなってくるほど、どん底に落ちている。例えば離婚、失言からのバッシング、果ては逮捕・収監まで…。

 

しかしその後の処し方についても、驚くほど似た共通点があるのに気づいた。悩むことに”飽きた”瞬間、圧縮されていたバネが爆発的に伸びたように復活しているのだ。

 

限界まで押し込まれたバネは、ある瞬間に高く跳ね上がる。大きく落ち込むことは、バネをガンガンに押さえつけることと同じなのではないか。

 

落ち込んだり不調に苛まれたりというのは、エネルギーが完全に失われた期間のように思えるが、それだけ大きなエネルギーを蓄えている状況でもあるとしたら、どうか

 

先述の通り、僕は今、心だけが回復し、体がまだ追いついていない状態である。だがこれは、まだ巨大なバネを押し込んでいる状態だと捉えれば、まだ望みがある

 

今のジレンマによる内圧が臨界点まで高まり、バネがビョンと爆発したら、その勢いで僕はどこまで立ち直れるのだろうか?

 

確実に、6月以前の自分よりもさらにレベルアップした状態で立ち直れるのではないかと思っている。そう思うと、いつそれが起こるか、その期間にワクワクしてくる。

 

例えとして適切かはわからないが、あと何日で夏休みかな、と指折り数えて期待する日々に似ている。僕の心のバネが爆発的に伸びるまで、きっとあと少しだ。

 

終わりに。

 

なるべく自分の状況を客観的に、俯瞰して考えても、僕は決して病んでいるわけではない。シンプルに激甚の疲労を溜め込んだ結果、回復に手間取っているだけだ。

 

しかし、それをただただ”不調”と捉えるのは、なんとも味気ない話ではないか。だから僕は、現状を「バネを押し込んでいる時期」と解釈することにしたい。

 

そうやって自分を納得させつつ、そのうえで今は焦らず、そのバネが反発する時期を待つ。そんなことに気づけて、良かったなと思う。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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